辻子 ー竹之辻子ー
辻子シリーズはこのところ上京区ばかりでした。それで、少し場所を変えて下京区にも目を向けてみます。
今回はまず、竹之辻子。
仏光寺通烏丸の一筋東を南行する小路です。
この辻子は、途中で少し西に折れて再び南行する鉤型の細い道で、上柳町と匂天神町を通貫して高辻通に抜けています。
(この辻子を南に抜けた所は、次回に取り上げる予定の「瑞音辻子」です)
上柳町・匂天神町の仁丹町名表示板
この辻子は、僅かの距離で6枚の仁丹町名表示板を見ることができるという珍しい場所です。
この「匂天神町」の町名表示板、よ〜く見てください。琺瑯製のものの下に木製の枠か土台のようなものが見えます。京都仁丹樂會の人達は、これは数少なくなった木製の仁丹町名表示板に違いなかろうと見ています。
ここ(位置から見て匂天神町)ではもう1枚、木製仁丹町名表示板とおぼしきものを見ることができます。しかし、風雨による劣化が激しくて文字・仁丹ロゴともに読み取るのは極めて困難です。
『京町鑑』では、「仏光寺通」の「上柳町」について、「此町に昔上柳氏某住す 世に上柳といへる古金襴も元此家の至寶なり (略) 此町中ほど南へ行一町を竹之辻子 元車屋町にあたる也」とあって、町名は上柳氏に因むことが知れる。
また、「匂天神町」についても、同書に「此辻子に天神社有 」としていて、この辻子にあった菅原道真を祀る匂天神社(明治になり廃社)を町名の由来とする。
註:『都名所圖会』は、匂天神社について「東洞院と烏丸の間高辻の北にあり、竹之辻子といふ、清香庵と號す。」としています。
「清香庵」については、『京都坊目誌』に匂天神の「南にあり。北側 浄土宗鎮西派一心院の末寺にして。僧稱念の餘派とす。」るが、明治15年に廃寺となっている。
« 路地(ろーじ)ーそのいろいろー 11 | トップページ | 辻子 ー瑞音辻子ー »
「仁丹町名表示板」カテゴリの記事
- 町(まち)から町(ちょう)へ ー地域構造の変化ー(2023.07.14)
- 白雲の練貫座 ー京都機業の盛衰ー(2023.05.19)
- 白川(白河)⇒ 岡崎(2023.03.24)
- 東京の木製仁丹町名表示板 その3(2022.11.25)
- 東京の木製仁丹町名表示板 その2(2022.11.11)
「町名・地名の由来」カテゴリの記事
- 淀・淀城そして淀川(2023.10.20)
- 岩 神 ー禿童石(かむろいわ)ー(2023.09.22)
- 白雲の練貫座 ー京都機業の盛衰ー(2023.05.19)
- 宝永大火と京都の整備改造(2023.04.07)
- 白川(白河)⇒ 岡崎(2023.03.24)
「辻子(図子)・突抜」カテゴリの記事
- 辻 子 ー宇賀辻子ー (補訂)(2019.07.19)
- 突抜 ー社突抜町ー(2019.06.07)
- 突抜 ー相国寺突抜ー(2019.03.08)
- 突抜 ー常盤井殿突抜町ー(2019.02.22)
- 突抜 ー稲荷町突抜ー(2019.01.11)
コメント