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2015年9月18日 (金)

辻子 ー瑞音辻子ー

瑞音辻子(すいおんのずし)

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 高辻通の、東洞院から烏丸通までの間。

 北側の高橋町・匂天神町、南側の燈籠町・因幡堂町との境界となっている。
 高辻通のこの辺りも戦時中の強制疎開により拡幅され、2車線道路となったので辻子の面影は無くなっている。

 辻子名称の表記については、文献等によってかなりの異同が見られるようです。

 『京町鑑』では「(高辻通)東洞院西入  瑞音辻子 」としているが、『京羽二重』では「水雲辻子 高辻通東のとうゐん通にしへ入  因幡やくしの北也」と記している。
これは、「瑞音(すいおん)」が「水雲(すいうん)」へと転訛し、それに伴なって字も変化したのかもしれません。
 その他にも、「随音辻子」「ずいをんのずし」「瑞圓ノずし」「すいうんのずし」などが見られますが、幕末期の古地図では「随音辻子」としているものが多いように見受けられます。
 「瑞」と「随」では意味は異なりますが、字音はいずれも「ズイ」あるいは「スイ」です。どちらかが書き誤りと云うことなのか、そのあたりはよく判りません。

 

匂天神町の仁丹町名表示板

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 前回の「竹之辻子」を南へ高辻通に出た所、つまり「瑞音辻子」(高辻通)側から北方向を眺めたものが次の写真で、『京町鑑』の「瑞音辻子」項に、「此辻子中程北ヘ行辻子は竹辻子也」と記述された地点です。

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「竹之辻子」から「瑞音辻子」に出た所、少し西の北側京都信用金庫建物の一角に設けられた匂天神社の祠です。前回「竹之辻子」でも書いたように、明治の頃に廃社となっているのですが、町名の由来になっている天神社を偲んで祀ったものでしょう。

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 ところで最後に、高辻通の俗称について記しておきます。

 『京町鑑』には、「俗に藪之下と云 (中略)又此通  藪の下といふは  中古柳馬塲通より東洞院邊まで藪ありしゆへ  其間計を町の北 名を籔の下と呼たりしを  いつの頃よりか東西に通じて通の名となれり」との記述しています。
 つまり、高辻通の柳馬場通と東洞院通の間は、北側に竹やぶがあったことから籔之下通(やぶのしたどおり)と云ったのだが、いつの頃からか高辻通全体の通称になったと云うのです。
 なお、『京雀』には、「柳のばゞにしへ 藪のした町 たかくら西へ 藪の下新町」としています。




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