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2015年10月 2日 (金)

皀莢の木 ー西海子町と木之元町ー

 東山通(東大路)三条に東山通を挟む両側町として、「西海子町(さいかいしちょう)」があり、その南に隣接して「南西海子町」があります。
 「西海子町」の町名由来は、昔の呼称「皀莢町(さいかしちょう)」が、転訛と当字により「西海子町(さいかいしちょう)」に変化したと云われます。
 また、「木之本町」は、「南西海子町」の南側に位置しており、やはり東山通に面した両側町でしたが、のちに「北木之元町」と「南木之元町」の二町に分離しました。

南西海子町(仁丹町名表示板)

_01

 それでは、元の「皀莢町」という名はなぜ付いたのか。
 『山州名跡志』には、「長田首塚 今ハ無シ。其所白川橋ノ西三町三條ノ南二條(ふたすじ)ニアタル街(ちまた)南方(みなみがわ)人家ノ後也 長田ハ源義朝ノ怨(あだ)ナリ。 首ヲ此所ニ梟(かけ)シト云フ。 初メ塚ノ上ニ皀莢ノ古木アリ。 仍テ其東三條及其南ヲ皀莢町ト云フ」と記しています。

 註1:  長田ハ源義朝ノ怨(あだ)ナリ ⇒ 平安末期の源氏の武将、源義朝(頼朝・義経の父)は平治の乱に破れて都から落ち延びる途中、尾張国で源氏の家人である長田忠致の裏切りにより謀殺された故事を指す。
 長田忠致は、平家からの恩賞目当てに頼朝の父を殺したものの、やがて後には頼朝の命により殺害される。その首を埋めたのが長田塚だと伝わる。
 註2:  皀莢(さいかち) ⇒ マメ科の落葉高木で30cm程にもなる莢(さや)は、昔は石鹸の代用とされたようです。アルカリ分を含まないため、絹の着物を洗っても痛まないので今も利用されるとのこと。

南木之元町(仁丹町名表示板)

_01_2

一方、『山城名跡巡行志』では、「長田首塚 三條通ノ南  木ノ本町ニ在 塚ノ上ニ皀莢ノ古木有  之ニ因テ此ヲ皀莢町ト名ヅケ  此所ヲ木ノ本町ト云  長田ハ源ノ義朝之怨也  首ヲ此所ニ梟ケ  後ニ塚ト為ス  今ハ亡シ」としているのです。

はてさて、この記述では長田塚のあった場所は皀莢町か?、それとも木ノ本町か?、ハッキリしろよ!と言いたくなります。
しかしこれは、長田塚が皀莢町と木ノ本町との境界付近にあり、その塚の上にあった皀莢の古木が両町の名称の由来となった。このように読み解くとスッキリするように思われます。

なお、上京区西堀川通上長者町上ルにも皀莢町があります。やはり、昔この地に皀莢の巨木があったことが由来だと云うことです。

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