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2016年1月

2016年1月29日 (金)

看板いろいろ 番外編の2

 前回に引き続いて番外編です。

オロナミンC
 オロナミンCの看板には、黄金バット、巨人の星、アタックNo.1、天才バカボンなど色々なバージョンがあります。
 そして、そのほとんどが大村崑の似顔絵入りですが、この看板はそれらの後に出たバージョンです。
 (これも前回と同じで、東京都電「三ノ輪橋」駅にて撮影)

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次の2点は三ノ輪の街頭で見かけたものです。

最上醤油
 山形県の醸造・販売業でしたが、倒産しているようです

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アカマルみそ
 愛知県渥美郡田原町野田の醤油・味噌醸造業者で(旧)野田醤油

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雨に煙る東京スカイツリー
 東京ソラマチにて撮影
 (看板ではありませんがオマケです)

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2016年1月22日 (金)

道正町のこと

 「道正町」は、上京区新町通寺之内上ルにあって、新町通を挟む両側町です。
 『京町鑑』に、道正町を「竪道正町 上半町下半町二町に分る」「寺之内上ル 此町東へ行一町有 道正町」と記していて、元々は三町に分かれていたのが後年の明治になって合併したようです。
 そして、「此町南側に則  道正庵解毒の藥店有  此町東の行當は下木の下町也」 との記述があり、町名の由来はこの薬舗道正庵からきています。

道正町の仁丹町名表示板

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 なお、新町通の由来について、上掲書には「此通 古 上京にて町口と云 下京にて町尻といひし也 此通あらたに建つゞきしゆへ俗に新町とよぶ」としています。

道正町の町並み

Jpg

 ところで、町名の由来となった道正庵というのは、鎌倉時代の禅僧で曹洞宗の開祖である道元と共に宋に渡った道正が、漢方医薬の製法を学んで帰国した後、子孫に至るまで薬舗「道正庵」を家業としたことに因むといわれています。
 この医薬製法を元に、のちに道正庵が製造販売した秘伝薬「神仙解毒万病圓(神仙解毒丸)」となったそうです。
 その辺りのいわれとなったところを、地誌から引用しておきましょう。

『京羽二重織留』「濫觴」の項に、「道正解毒(どうしょうのげどく)」として、
 「洛北 木の下道正菴に此解毒の藥あり 往昔永平寺道元和尚宋國におもむき給ふ 道正庵も和尚にしたがひて供奉したまふ 道元宋國旅途の中急病にをかされ難儀に及び給ふ時に いづくともなく一老翁出現し われ倭朝にて汝が近隣の者なり 命を失ふべからずとて 一丸の藥を道元にあたへ給ひしに 病たち所にいへぬ 老翁叉いはく我は日本稲荷の神なりと 叉道正庵に告て云 なんじ師にしたがひはるばるの海上をしのぎ爰に來る其心ざしふかし 此藥方をあたへん 日本に帰り諸人の病苦をすくふべしと 則藥方をあたへ老翁たちまち其ゆく所をしらず 今に代々道正庵相續し げどく園を合諸國にひろむるも此義なり 道元和尚住居し給ふ興正寺 始は深草にあり 明神の近隣の者と告給ふも此ゆへなり」と記す。

また、同書の「古菴地」には、
 「道正菴 京 北 木の本にあり 道正始の名は片山隆盈と號す 曾て永平寺道元和尚にしたがひて宋に入  稲荷の神に一丸の藥方を授りて歸朝の後  今に至つて子孫の家業とす  解毒圓是也  元祖道正より今に至り二十七代其家を續  是いなりの冥助による物也」としています。

 

2016年1月15日 (金)

看板いろいろ 番外編の1

 当ブログの「看板シリーズ」で今までにお目にかけてきたモノは、京都で見かけたものばかりを掲げてきました。
 しかし、時折、通常の記事に挟む形で、東京で見かけた看板を「番外編」としてご覧いただくことにします。
 
次のレトロ看板は、いずれも東京都電「三ノ輪橋」駅で撮影。

亀の子束子

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アサヒ  ゴム靴・運動靴・地下足袋

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金鳥かとりせんこう

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キンチョール

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2016年1月 8日 (金)

辻子 ー曼荼羅辻子ー

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 「まんだらの辻子」は、大宮通上立売上ル 一筋目を東行する小路です。
 樋之口町・蔓陀羅町を通貫している。
 なお、昔、蔓陀羅町は別名を「當麻裏町(たへまうらちょう)」と称していました。

 「蔓陀羅町」あるいは「當麻裏町」の町名由来は、元はこの地にあった天性寺の山号である曼荼羅山に因んでいます。
 その天性寺は豊臣秀吉によって移転させられ、今では寺町通姉小路下ルにあります。

 奈良時代の右大臣藤原豊成公の娘である中将姫が当麻寺で仏門に入り、曼荼羅(諸仏の悟りの境地を描いた絵図)をつづれ織りで織り上げたものが當麻曼荼羅(国宝)です。
 天性寺は開基の眼譽がこの中将姫の遺徳を偲び、大永年中に大和国の當麻寺から移建したとする。(『山州名跡巡行志』)

 
蔓陀羅町の仁丹町名表示板

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 『京町鑑』に、大宮通寺之内下ル二丁目の「樋口町 此町東へ入所は大北小路西町叉當麻町也」としているのが前回の記事にした「味噌屋辻子」なのです。
 そして、この記述に続いて「同南の方東入所は當麻裏町蔓陀羅町也」としているのが、本記事の「まんだら(曼荼羅)辻子」にあたります。

 

2016年1月 1日 (金)

明けましておめでとうございます

 いつも当ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
 地味~なブログですが、今年もまだ続けていきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
 ところで、自分としては辻子シリーズにはかなり力を入れて記事を作成しています。そのため、地誌類から記述を引用するなどの工夫しました。
 けれども、どうも少しマンネリ化しつつあることを自覚していますので、テーマや採り上げ方について改めて見直して行きたいと考えています。

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 さて、とつぜん話は変わります。
 昨年は、政事ではきな臭い気配が漂い、世相は殺伐として剣呑、また天災も多発した年でした。
 今年は是非、穏やかな良い年であってほしいものです。
 今年の干支は申(猿)です。庚申信仰に縁のある三猿ですが、その「見ざる・聞かざる・言わざる」に倣うのではなく、できるだけ「見逃さず・聞き漏らさず・物申す」よう心掛けて行きたいと思いますが・・・。

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