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2016年1月22日 (金)

道正町のこと

 「道正町」は、上京区新町通寺之内上ルにあって、新町通を挟む両側町です。
 『京町鑑』に、道正町を「竪道正町 上半町下半町二町に分る」「寺之内上ル 此町東へ行一町有 道正町」と記していて、元々は三町に分かれていたのが後年の明治になって合併したようです。
 そして、「此町南側に則  道正庵解毒の藥店有  此町東の行當は下木の下町也」 との記述があり、町名の由来はこの薬舗道正庵からきています。

道正町の仁丹町名表示板

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 なお、新町通の由来について、上掲書には「此通 古 上京にて町口と云 下京にて町尻といひし也 此通あらたに建つゞきしゆへ俗に新町とよぶ」としています。

道正町の町並み

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 ところで、町名の由来となった道正庵というのは、鎌倉時代の禅僧で曹洞宗の開祖である道元と共に宋に渡った道正が、漢方医薬の製法を学んで帰国した後、子孫に至るまで薬舗「道正庵」を家業としたことに因むといわれています。
 この医薬製法を元に、のちに道正庵が製造販売した秘伝薬「神仙解毒万病圓(神仙解毒丸)」となったそうです。
 その辺りのいわれとなったところを、地誌から引用しておきましょう。

『京羽二重織留』「濫觴」の項に、「道正解毒(どうしょうのげどく)」として、
 「洛北 木の下道正菴に此解毒の藥あり 往昔永平寺道元和尚宋國におもむき給ふ 道正庵も和尚にしたがひて供奉したまふ 道元宋國旅途の中急病にをかされ難儀に及び給ふ時に いづくともなく一老翁出現し われ倭朝にて汝が近隣の者なり 命を失ふべからずとて 一丸の藥を道元にあたへ給ひしに 病たち所にいへぬ 老翁叉いはく我は日本稲荷の神なりと 叉道正庵に告て云 なんじ師にしたがひはるばるの海上をしのぎ爰に來る其心ざしふかし 此藥方をあたへん 日本に帰り諸人の病苦をすくふべしと 則藥方をあたへ老翁たちまち其ゆく所をしらず 今に代々道正庵相續し げどく園を合諸國にひろむるも此義なり 道元和尚住居し給ふ興正寺 始は深草にあり 明神の近隣の者と告給ふも此ゆへなり」と記す。

また、同書の「古菴地」には、
 「道正菴 京 北 木の本にあり 道正始の名は片山隆盈と號す 曾て永平寺道元和尚にしたがひて宋に入  稲荷の神に一丸の藥方を授りて歸朝の後  今に至つて子孫の家業とす  解毒圓是也  元祖道正より今に至り二十七代其家を續  是いなりの冥助による物也」としています。

 

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