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2016年2月19日 (金)

辻子 ー瑞龍寺辻子ー

瑞龍寺辻子

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 古地図(慶応4年刊「改正京町御絵図細見大成」)を見ると、堀川通の西、今出川通と元誓願寺通の間を南北に瑞龍寺門前丁があります。瑞龍寺の門前に位置していることから、瑞龍寺辻子と称したものと思われます。
 これは、位置的には西陣織会館(堀川通今出川下ル西側の竪門前町)の西側あたりで、西船橋町・竪門前町・南門前町を通貫するかたちで南北に通っていたようですが、今では消滅しています。
 上の写真は近辺の小路ですが、瑞龍寺辻子が現存すればこのような佇まい雰囲気でしょうか。

 『山城名跡巡行志』に、「瑞龍寺 堀川一條の北に在り村雲御所と號す  宗旨法華の尼寺也  今二條家領と傳也  関白秀次公の母公瑞龍院尼公の草創也」と記しています。日蓮宗では唯一の門跡寺院だったということです。

 豊臣秀次は、秀吉の養子となり関白に任ぜられました。しかし、秀吉に実子の秀頼が誕生すると、高野山に追放されたうえ、切腹まで命ぜられました。何と惨いことに、妻子までもが三條川原で処刑されました。

村雲御所(瑞龍寺)跡碑

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 秀次の母(秀吉の姉にあたる)が秀次追善のために建立したのが瑞龍寺で、のちに徳川家の支援を受けて増築されます。皇室や摂関家からの入寺もあって、付近一帯を村雲と称した地であったことから、瑞龍寺を村雲御所と称したという。
 なお、瑞龍寺は後に移転して、現在では滋賀県近江八幡市の八幡山山頂にあります。

 『京町鑑』に、堀川通今出川下ル「村雲町 古此邊は村雲といへる地名也  故に町の小名とす」としています。

村雲町の仁丹町名表示板

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