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2016年3月18日 (金)

辻子 ー長福寺辻子ー

 長福寺辻子について、『京羽二重』では「からす丸通たこやくし通下ル町  にしがわ也」と記しています。
 しかし、この辻子は現在では消滅しています。
 烏丸通から、手洗水町・占出山町・山伏山町を通貫して、室町通へと抜ける辻子だったようです。
 訂正しました。記事末尾の【註】をご覧願います。

 

京都芸術センター(明倫小学校跡)
 長福寺辻子は、このあたりを東西に通じていたのではないかと思われます。

 

_01

 

 そして、長福寺辻子の名称由来は、この手洗水町の西に長福寺という寺があったことによる。
 ところで、この長福寺は秀吉の京都改造の折りに、松原通大宮西入ル辺りに移転したようです。そして、長福寺に因み移転先の町名も始め長福寺町と称したのですが、後には現在のように上長福寺町と下長福寺町に分かれました。

 

 なお、手洗水町の名前の由来について、『京町鑑』には「此町東側中程に祇園會手水井有  毎年六月七日より十四日迄此井をひらく  水至て清冷也  常には柵をゆひ汲ことあたはず  是いにしへの祇園御旅所の跡也」と記しています。

 

 占出山町は、祇園祭で占出山を出している町ですが、『京雀』では鮎祝山(あいわいやま)という別称があったとを記しています。 
「鮎祝山の町(あいわいやまのちょう)  六月七日ぎおん會の祭禮に此町よりかざりてまつる  山の名を世にあいわい山といふ むかし神功皇后三韓を責めしたがへすでに歸陣あり  肥前國にして川中の石の上に立給ひ釣針をおろし給へば  あやしき魚のかゝりてあがりけるを  皇后みそなはしてめづら物也との給しより  その川をめづら川といひけるを  後に五音相通して松浦(まつら)川となづけ其里を松浦の里といふ  かの釣あげられし魚は鮎にて侍べり  其形を山に作りてまつれり  此故に町の名とす」

 

 山伏山町は祇園祭に山伏山を出している町で、『京雀』には「此町祇園會六月七日の祭禮に山をかざり渡す此山は淨藏貴所といふ人大みねかつらぎに入ておこなひ給ふところをつくれり」としています。

 

山伏山町の仁丹町名表示板

 

_01_2

 

 大峰山で修行していた淨藏貴所が、折しも死亡した父の三好清行の葬列と一條戻橋で出会い、祈って生き返らせたと云う一條戻橋の故事は有名です。

 

【註】勘違いがあったため訂正します。 (2016.11.7)
 冒頭に書いたように、烏丸通から室町通へ抜ける辻子と理解していました。
 しかし、『京都坊目誌』の「手洗水町」の項に次の記事があり、袋小路の辻子であったことが判明しました。
 「(烏丸通の)西側に市有地の袋地たる道路あり、長福寺ノ辻子と字す。」
 また「明治44年道路敷を拂下け民有に帰し、長福寺辻子は遂に滅せり」と辻子の無くなった時期・理由も記しています。

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