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2016年3月 4日 (金)

春帯町のこと

 「春帯町」は、上京区新町通の下立売〜丸太町間に位置する町です。
 中世には、新町通下立売下ル辺りに清帯寺という寺があり、本尊の地藏菩薩は腹帯地藏といわれた
 懐胎した女の人はこの腹帯地藏に安産を祈願して、庶民の信仰を集めていたことから、一帯を「腹帯ノ町(はらおびのちょう)」と称していた。これが、現在の「春帯町(はるおびちょう)」の前身なのです。
 (現在の春帯町は、京都第二日赤病院や商店などが建ち並ぶ、およそ趣に欠ける眺めのため写真は省略します。)

 この春帯町にあった清帯寺は、天正13年(1585)に寺町蛸薬師に移転します。
 その辺りを地誌書の記述から見てみます。
 『京町鑑』は、「新町通 下立賣下ル  腹帯町  此町にいにしへ腹帯地藏有し也  今寺町たこやくしの隣に有」と腹帯町の町名由来を記し、現・新京極蛸薬師の蛸薬師堂(永福寺)の隣に移転したとしています。 
 『京童』では、「寺號を清帯寺といふなり。此地藏は土佛にて。行基の御作なり。いにしへは新町通下立賣下ル腹帯の町といふにありしを。爰にうつしたてまつる也。此地藏菩薩はくわいにんの女人平産をまもらせたまへるによりて。女性のぐわんにおびをかくるゆへ。はらおびのぢざうと申也。」と記し、腹帯地藏は土像で行基の作としていています。

 しかし、このように安産祈願で信仰を集めた清帯寺の腹帯地藏ですが、天明8年(1788)の大火で炎上してそのあと再建、元治元年(1864)禁門の変の兵火で再び堂宇・本尊を焼失し、明治6年(1873)には廃寺となったという。
 現在、中京区新京極通通蛸薬師東入ルにある妙心寺の北側がその跡地といわれる。

 医学の発達した現在とは違って、昔の女性にとっての出産は時には危険を伴う、「大事業」とも言えるものだったようです。
 そのため、安産を祈願した腹帯地藏は各地にあったようです。下記の①と②は現に存在するもの、③と④は地誌書に記載があるものです。

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① 善願寺
 伏見区醍醐南里町(旧奈良街道沿い)
 由緒書きによれば、聖武天皇の頃に光明皇后の発願により、行基が地蔵尊を本尊として創建したと伝わる。腹帯地藏は丈六の巨大な地蔵尊で、広く女性の難産の患いを救うとされる。
 地蔵尊の法衣の下に腹帯によく似た下裳が見えることから、「腹帯地藏さん」と親しまれているそうで、重要文化財に指定されています。

② 光念寺
 北区紫野上野町
 常盤御前が牛若丸の安産を祈願して寄進したと伝わる腹帯地藏で、これも現存します。
 紫野上野町の東隣には紫野牛若町があり、一帯に牛若丸・常盤御前ゆかりの史跡があります。
 なお、今宮神社のやすらい祭はこの光念寺が出発地となっています。

 やすらい祭

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 大宮上野町(現・紫野上野町)の仁丹町名表示板

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③ 『京雀跡追』の記載
 寺町にあるものと名は同じながら別の腹帯地藏だとして、「是は三條通むろ町をひがしへ入所に 北がわの西かとのうら屋にはらおびのぢさうとてあり 七月廿四日には表へ出し とうみやう供物をそなふ 參詣の人々市をなす也」とあります。

④ 『京雀』の記載
 中京区三条通烏丸西入「みくじ町」(現・御倉町か)に、「北行西の廉(かど)に腹帯の地藏とておはします 七月二十四日には貴賤群衆して参詣あり」と記しています。
 また、『京都坊目誌』でも御倉町(ミクラ)の項に、「天正の頃西北隅に腹帯地藏ありて、當時詣人頗る多し」としています。
 しかし、これは前記③と同一の腹帯地藏であろうと思われます。

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