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2016年4月 1日 (金)

辻子 ー定家辻子(殿下辻子とも)ー

 今出川通千本東入 一筋目(西陣郵便局西側の通り)を南行して中筋通に出る間。  
 般舟院前町・東上善寺町の境界、および、西亀屋町・中宮町の境界となっている南北の小路です。

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 般舟院前町の町名由来は、豊臣秀吉が伏見城下町建設のため文禄4年(1595)に般舟三昧院をこの地に移したことによる。

西亀屋町・中宮町の仁丹町名表示板

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 『京町鑑』には、辻子の位置を「東上善寺町南へ行一丁有 定家辻子  此町いにしへ定家卿の御別館有し舊地なりとぞ」と記していて、この地に藤原定家の時雨亭があったとする。このことが辻子名称の由来なのでしょう。
 なお、定家辻子には殿下辻子という別称もあったようで、「西亀屋町より北ヘ行所を 殿下辻子  此辻子を北ヘ行ば般舟院門前へ出る」とあります。

 『京都坊目誌』には、般舟院前町を「舊時時雨町とも呼ぶ」とし、そのまえには時雨町と呼んだことがあり、「時雨」は定家邸にある亭の名だと云う。

 ところで、時雨亭があったとされる所は各所にあるようです。しかし、今のところどこがその地なのかは定かではありません。
 『京羽二重織留』の「時雨亭(しぐれのちん)」項では、所在したとされる各所について記述があります。
 この記述は短いものではありません。このため、読者の方々に読む煩わしさを避けていただくために、要点だけを摘記しておきます。
1. 千本舊歓喜寺の中、始千本の南頬にあり(千本通今出川下ルあたりと思われる)
2. 般舟院(正しくは般舟三昧院)南の定家辻子の辺(上記、定家辻子)
3. 相国寺塔頭の普廣院
4. 嵯峨小倉山麓の常寂光寺

 そして『山州名跡志』にも、次のように記しています。
5. 衣笠山東麓の東南、松原村の北ニ町許(現在の衣笠小松原北町辺りか)

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