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2016年4月29日 (金)

蹴上のこと

 「蹴上」、これは「けあげ」と読みますが地名です。
 「蹴上」は東山区粟田口の東の端にあたり、古来、東国との往来の出入り口となっていました。日ノ岡峠を越えると東側は現・山科区となります。

「蹴 上」標識(背景の建物は蹴上発電所)

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 牛若丸(源義経)が金売橘次に伴われて奥州平泉に下る時、たまたまこの地を通りかかった平氏の侍である関原輿市重春の乗馬が、水溜りの泥水を牛若丸に蹴りかけたことから両者の争闘となり、牛若丸は輿市とその家来の多くを斬り捨てたという伝承があります。
 これが「蹴上」という地名の由来だそうです。
 (註:金売橘次は奥州で産出する金を京で商うのを生業とした)

 そのあたりの様子を、『京羽二重織留』から引用しておきましょう。
 「蹴擧水(けあげのみず) 下粟田口にあり  九郎よしつね牛若たりし時  くらま山を出て  かね商人橘次末春にしたがひあづまにおもむく時  此所にて關原輿市にあふ  輿市はみのゝ國の軍士にして馬にのり京師に入る  輿市が良等あやまりて此水を蹴上てよしつねの衣を汚しぬ  よしつね其無禮をいかり輿市が良等數十人きりころし  猶叉輿市が耳はなをそいで追ひはなつ  牛若東行首途の吉事なりとよろこび給ふと云云」

 ちなみに、『岩波古語辞典』で 【蹴上げ】を引いてみたところ、「人・馬などが蹴上げた塵・泥または泥水。はね。」とあり、用例として「馬の … を掛くる事、存外なる振舞なり〈謡・関原与市〉」を挙げています。
 つまり、蹴上げ(泥水)をはね上げて浴びせるなどと云うことは、以ての外の無作法な振る舞いのため、牛若丸が激怒して関原たち主従を切り伏せ耳鼻を削いだのでしょう。
 この時、斬られた関原輿市たち主従9人の菩提を弔うため、石仏9体を安置したという。
 これら石仏の1体が、インクライン傍の義経大日如来だといわれています。

義経大日如来

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 とつぜん話は変わりますが、「蹴上」の地は琵琶湖から引いた疎水の出口となっています。
 明治18年(1885)に起工した第一琵琶湖疎水は同23年(1890)竣工します。滋賀県大津市三保ケ崎の琵琶湖から取り入れた水は、長等山の下を抜けて山科に出、また日岡山の下をくぐって蹴上で地上に姿を現します。

第一疎水の大津側トンネル入口

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第一疎水の蹴上側トンネル出口

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 明治維新による東京遷都のためすっかり衰退した京都は、この琵琶湖疎水計画の実現による水力発電で電気鉄道や新しい工場が生まれ、京都の近代化に大きな役割を果たす一歩となったのです。
 さらに、明治41年(1908)〜同45年(1912)には、本格的で大規模な都市基盤整備整備計画として、第二琵琶湖疎水の開削、それを利用した水道整備、そして道路拡幅と電気軌道の敷設といった「三大事業」が実施されました。

 

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