産寧坂(三年坂)のこと
東大路通の清水道交差点から東端の清水一町目、清水寺へと向かう坂道が清水坂です。
この清水坂の中程に、北方の桝屋町の二年坂から清水三町目を経て合流してくる石段の上り坂、これが産寧坂で清水二町目にあります。
産寧坂(三年坂)
光明皇后は懐胎中、清水寺塔頭泰産寺の本尊観世音像に祈願して、皇女(後の孝謙天皇で道鏡を寵愛した女帝)が誕生します。そこで光明皇后が命じて三重塔を建立し、一寸七分の観音像を安置しました。
このことから人々は子安ノ塔と称し、安産を祈願する婦人が専らこの像を尊崇しました。
産寧坂は、安産に霊験のある子安塔への参道でもあったのですが、三年坂・再念坂とも云われる。
なお、二年坂は三年坂よりもやや小さい坂であるため、この名があると云います。
因に、『京師巡覧集』には俗説であるとしつつ、三年坂・再念坂の名称について次のような話を載せているそうです。この坂でつまずき転倒すると三年以内に死ぬと。また、清水に詣でてその後に再び参詣して念ずると宿願が実現するとしているようです。
子安塔
清水寺本堂の南方の小高い丘に建つ約15mの優美な三重塔です。本尊の千手観音には、6cm程の小さな胎内仏が納められているという。
この泰産寺の子安塔、元は清水寺の正門である仁王門の南西側(左手前)に建っていたのですが、明治42年清水寺境内の整理に際して、本堂の南方の丘に移されました。
それでは、いくつかの地誌書から産寧坂の記述を見ておきましょう。
『山州名跡志』に、三年坂は俗称だろうとして、次のように記しています。
「三年坂 是俗稱ナル歟。此名實記ニ見ヘズ。今云フ處ハ靈山ノ南清水ニ至ル中間ニアリ。諺ニ云此坂大同三年ニ開クトモ。叉ハ子安塔ニ至ル故ニ産寧坂トモ。古老ノ説ニ曰ク信用シ難シ。三年坂トハ清水寺門前ノ巷。東西ノ坂ヲ云フ也ト」
この坂は大同3年に開かれたので三年坂と云い、また、子安の塔へ祈願に行く坂であることから産寧坂とも云うとしています。つまり、《産寧》は「産(うむ)」と「寧(やすらか)」で、安産に通じるとするのです。
『京羽二重』でも同様に、「三年坂 東山清水寺の麓也 大同二年清水寺建立 其翌年此道はじめて作りし故かく名付と 又産寧坂ともいへり」としています。
『京童』も、三年坂と産寧坂の由来について、前掲書と同様の記述があります。
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