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2016年7月15日 (金)

辻子 ー鎗ノ辻子ー

鎗ノ辻子(跡)

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 この辻子、現在では京都御苑に取り込まれてしまい無くなっています。
 京都御苑の乾御門から入ると、左手(北西辺り)に児童公園がありますが、往時、辻子はこの辺りを南北に通っていました。

現在の乾御門

_01_2

 「鎗ノ辻子」があった場所を絵図で見ると、次のようでした。
 烏丸通から少し東に入り込んだ位置にあった乾御門の前から、北方の今出川通へ出る南北の小路だったようです。
 「鎗ノ辻子」の東側は近衞殿屋敷・舟橋殿屋敷が、西側は一條殿屋敷の北端・堀川殿・久我殿といった公卿屋敷に挟まれているのがわかります。

_01_3

 【註:上の写真は、伊東宗裕著『京都古地図めぐり』所載の「文久改正内裏御絵図」を写真撮影のうえ、辻子部分を中心にトリミングしています】

 上記絵図の全体図からは、江戸時代までは天皇の住む禁裏御所・上皇法皇の住まう仙洞御所を中心に、五摂家(近衞家・九条家・鷹司家・一條家・二條家)、天皇の親戚である宮家(有栖川宮家・桂宮家など)、昇殿を許された公卿家の屋敷町が取り巻くように建っていた様子が見て取れます。

 現在見る京都御苑のように、今出川通・烏丸通・丸太町通などの外周が、築地塀や石垣で囲われたのは、明治2年に実質的な東京遷都が行なわれて以降のことなのです。
 それ以前の御所西側がどのような様子だったか、各種絵図で見ると次のようなことが判ります。
 御所の正門にあたる中立売御門は現在と同じく烏丸通に面していました。
 しかし、乾御門・蛤御門(新在家御門)・下立売御門は少し東へ引っ込んだ位置にありました。
 なお、蛤御門と御苑の東側にある清和院御門は、現在とは違って南向きに建っていたようです。

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