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2016年8月 5日 (金)

辻子 ー觀世辻子ー

觀世辻子

_01

 上立売通にあって、智恵光院通と浄福寺通の間を通っている。
 伊佐町・聖天町・大黒町と、紋屋町の境界となっている小路です。

 『京羽二重』には、「観世辻子 大みやどをりあぐいんにしへ入所」とあります。
 『京雀』では、「上立賣通  あぐゐ通西へ くはんぜの辻子」としています。
 「あぐゐ通」と云うのは、現在の大宮通のこと。
 したがって、上記二書のいずれの記述も、辻子の所在地を「上立売通を大宮通の西方に行った所」と理解すれば、実際の辻子位置とは矛盾しないわけです。

 なお、「あぐいん」については下の【註】をご覧ください。

紋屋町の仁丹町名表示板

_01_2

【註】上掲書にある「あぐいん」と「あぐゐ」は、「安居院(あぐい)」のことです。
少し長くなりますが、安居院について紹介しておきましょう。
 安居院というのは、比叡山延暦寺東塔竹林院の里坊で平安時代後期の頃に建立されたようです。安居院の旧地は今の大宮通上立売辺りとも、また大宮通寺之内辺りにあったとも言われるのですが不詳。
 一方、「あぐい」はこの一帯の地名としても用いられてきたようで、現在の「前之町」は元禄9年刊『京大絵図』で見ると「安居院前町」となっています。
 また、『京羽二重』によれば、「安居院(あくいん) 寺の内通大宮通南北の間を云」としていて、大宮通寺之内の一帯を言ったのだと記述しています。
 そして『京都坊目誌』には、「安居院ノ址 按るに大宮以東  寺之内以北の地なるべし」として、現「仲之町」の旧称が「安居院仲之町」であったこと、現「前之町」の旧称も「安居院前之町」であったことを記しています。
 ちなみに、近代(昭和初期)になって道路改修工事が行なわれた時に、前之町で石造五輪塔の残欠や卒塔婆石などが出土したと云う。
 なお、安居院(「あごい」とも)は応仁の乱で廃滅しましたが、文禄2年に新シ町に再興されて後は、真言宗寺院の西法寺となりました。
 なお、「安居院」の読み方に付いて、『京雀』には「安居院(あぐゐ)はもとこれ  山門の一院にて安居院(あんごゐん)とかうす  音の連(つゞき)よろしき故にあぐゐといふ」としていて、元は「あんごいん」と号したのだが、音のつながりが良いので「あぐゐ」に変化したと云うのです。

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