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2016年9月

2016年9月30日 (金)

暖簾いろいろ その11

鎧廼舎  うさぎ塾
 上京区黒門通一条上ル
 鎧製作

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塩芳軒
 上京区黒門通中立売上ル
 京菓子

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吉見秀峰堂
 上京区中立売通堀川西入
 京表具

 この暖簾のデザイン、仙厓の描いた紙本墨絵 ○△□ から図柄を取っている。
 本物の図は「扶桑最初禪窟(日本最古の禅寺)」および落款「仙厓」を記しているだけで、画賛がないので難解な作品とされており、その解釈には諸説があると云う。
 臨済宗の僧、仙厓義梵の絵は人気があり、一筆を乞う客が絶えなかったということで、「うらめしや わがかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいてゆく」という狂歌を残しているそうです。

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 この「○△□」のデザインを看板に使っている店が中京区富小路通錦上ルにあります。
 古道具をはじめ生活雑貨、食器などを商っている店です。

Photo

2016年9月23日 (金)

辻子 ー狗の辻子 2(上京)ー

 武者小路通(むしゃのこうじどおり)の烏丸と室町の間。
 梅屋町、北小路室町と福長町の境界を東西に通貫する小路です。
 武者小路通の名称由来は不明。
 無車小路と書くこともあり、町名も「武者小路町(室町通西入)」と「西無車小路町(新町通西入)」の両方が存在する。

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 『京都坊目誌』には、「本名東武者小路町也。天正以前狗(イノコロ)の辻子と云ふ。慶長以来今の名になる」としていて、この辻子の読み方は「イノコロのずし」としています。
 「狗」は犬の子のことで、子犬のことを「いぬころ」とも言いますから、これが「いのころ」に転じたものでしょうか。
 ちなみに、先頃、下京の「狗の辻子」について記事にしましたが、その辻子の読み方は「イノコのずし」でした。

 なお、「梅屋町」の名称由来については、この町の住人某の茶寮に大きな梅の木があったことによると云う。上に引用したように、天正以前の町名は東武者小路町で、この辻子名は通称だったようです。

2016年9月16日 (金)

形(かたち・フォルム) その2

本隆寺の築墻(ついじ)

 築地塀に軒丸瓦(巴瓦)や平瓦などを埋め込んでいて、意匠が面白いと思いました。

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 本隆寺は本妙法華宗の寺院です。(智恵光院通五辻上ル紋屋町)
 長享2年僧日眞が六角西洞院に草創、その後四条大宮に移転。
 天文5年(1536)7月27日、京都の法華宗21ヶ寺が比叡山延暦寺の僧兵に焼かれた折、本隆寺も焼滅して同年11月に現在地に移ってきました。
 この本隆寺には、不焼寺(やけずのてら)という異名があります。これは、享保15年(1730)の西陣焼けや、天明8年(1788)の大火でも本堂が焼け残ったためで、本堂に安置された鬼子母神による奇瑞と云われたそうです。

 なお、元はこの地に佐々木氏の類族杉若若狭守の邸宅がありました。このため、紋屋町の西側の町は杉若町と称しています。

2016年9月 9日 (金)

辻子 −桶屋ノ辻子ー

 大宮通花屋町下ル 大宮二町目から西方に通じる小路を桶屋辻子と称した。
 「大宮二町目」は、始め「寺の内二丁目」と呼ぶ西本願寺の境内地でした。

桶屋ノ辻子

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 大正元年に大宮通の西側を拡張して、同年11月12日に京都市電大宮線が開通します。

 そのとき、大宮二町目から西行する桶屋辻子を拡幅して、「丹波口停車場」へ通じる大きな道路にしました。
 この丹波口停車場というのは現在のJR山陰本線「丹波口」駅です。ただし、現在では丹波口駅は五条通の南側へ移動しています。
 この道路、当時は「丹波口駅前通」と称したようですが、現在の地図では「正面通」と表示しています。

裏片町の仁丹町名表示板
 通の名称が「丹波口駅前通」となっています。

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 紛らわしいことですが、「丹波口通」という名称の通りもあるのです。
 大宮通花屋町一筋北の通を、西方に向かう道です。この道を大宮通から少し西に入った所が「丹波街道町」です。
 この町名由来は、豊臣秀吉の開いた京七口「丹波口」で、丹波への出入り口だったことによります。

丹波街道町の仁丹町名表示板
 通の名称が「丹波口通」です。

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2016年9月 2日 (金)

形(かたち・フォルム) その1

JR京都駅ビルの天井

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 平成9年(1997)の駅舎建て替えにあたっては、巨大なため高さ制限の緩和を必要とし、デザインも斬新すぎて古都京都のイメージを大きく損なうとして反対論も強く、賛否両論があってその論争はそれは賑やかでした。結果は高さは60mに押さえることで落着したようです。
 しかし、空中経路や屋上広場からの眺めは、京都の景色が一望できてなかなかのものです。

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 ところで、景観論争と云えば、京都駅前(塩小路通を挟んで北側)の京都タワービルも巨大なローソクを連想するもので、今ではすっかり景色に融け込んでいますが初めの頃は評判が悪かったのを覚えています。
 ここも京都の市街地を一望できるのが売りでしょうか。

 

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