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2016年11月18日 (金)

辻子 ー萬年寺辻子ー 《補訂》

 以前(2014.5.2)に書いた記事「辻子  ーマンネンジノヅシー」、実はその辻子の位置がはたして正しかったのかどうか、ずっと気になっていたのです。
 しかしその後、新たに知り得たことが幾つかあって、誤りの訂正とあわせて足りない点を補い、全面的に書き直したものが本記事なのです。(当時の記事は、それはそれとして削除せずに残しています)

 

 ここで、まず「萬年寺辻子」とその界隈について簡単に説明しておきましょう。
 五条通河原町の一筋西にある道(現在の地図では「富小路通」となっている)は、本塩竈町を西寄りに斜行して六条通まで南下しています。そして、六条から南は真っ直ぐに上珠数屋町通(上枳殻馬場通とも云う)に至ります。
 この通は、かつて下寺町通と称していました。寺町通の南端は五条通まででしたが、明治になって五条通以南が通じたのです。このように、寺町通の下(しも)に当たることから、下寺町通と呼称されました。

 そして、この富小路通(元・下寺町通)を六条通まで南下すると、下寺町通はそこから真っ直ぐ南へ萬年寺の門前を通って上珠数屋町通に至りますが、ここが萬年寺辻子なのです。

 辻子の突き当たりは上珠数屋町通、築地塀の中は枳殻邸(東本願寺別邸)です。


_01


 その萬年寺辻子の途中、本塩釜町の南端と唐物町の境界にあたる地点から西方に延びる道があります。この道、かつては萬年寺通と称していたのですが、現在では花屋町通となっています。

仁丹町名表示板

 かつての萬年寺通=花屋町通沿いの家屋に設置されていました。

_01_2

 

_01_3

 

 ここから本題の「萬年寺辻子」に戻ります。
 『京都坊目誌』中の「本鹽竃町」の記述から引用してみましょう。
 「元街名にして下寺町と称す。左右皆寺院なり。・・・(略)・・・此町南に於て萬年寺辻子と字す。萬年寺あるを以てなり。叉下寺町中央より東に通ずる小巷あり。市姫ノ辻子と稱す。市比賣神社あるを以てなり」とあります。
  つまり、下寺町通(本塩竈町)の南には、萬年寺があることから萬年寺辻子と云い、また、下寺町通の中程から東に入ると市姫神社があるので市姫辻子と称したのです。市姫辻子」については、以前(2014.4.11)に記事にしました。
 なお、萬年寺については、「萬年寺通烏丸の邊にありと。天正十九年豊臣氏の命に依り。現在の地に移轉す」と記していて、秀吉の京都大改造の折に花屋町通烏丸から今の場所へ移転させられたようです。

_01_6

 ということで、萬年寺辻子の所在する場所は、改めて次のように訂正します。

 「富小路通(元・下寺町通)六条の南、萬年寺の門前を南行して上珠数屋町通へと抜ける小路。栄町と本塩竈町の境界、唐物町、唐物町と八軒町の境界を南北に通貫しています。」
 したがって、当初は「本塩竈町を南北に通貫しています。(富小路通の五条〜六条の間)」としていたのは取り消します。実際には、この部分の南側だったのです。

 

 

 

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