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2017年1月20日 (金)

辻 子(ずし)−その発生をめぐってー 2の1

 今回の内容: 1. はじめに  2. 辻子発生の遠因
 次回の内容: 3. 平安京域の変化  4. 辻子の発生とその後

1. はじめに

 『酒瓮斎の京都カメラ散歩』は私が古稀の年に開設したので、5年半余りを経たことになり、今までにアップした記事は約320本にのぼります。よくもまァ続いたものと我ながら感心します。
 その中で、記事の数が最も多いのは、辻子シリーズで120本程になります。

 

瑞龍寺辻子

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 多くの辻子は依然として昔ながらの小さな道で、大きな通りとはまた違った佇まいを見せており、そこに住む人々の生活が感じられるような道が多いのです。
 現在では大通りとなってしまった辻子も少なからずあります。しかし、昔ながらの雰囲気が残る「まち」の佇まいこそ、私が辻子に惹かれた理由でした。

 この「ずし」ですが、辻子・図子・途子などいろんな表記があります。そして、辞書を引いて見ると、「よこちょう、路地」「大路と大路を結ぶ小路、または辻」などと説明されています。
 しかし、こうした説明では「大路」に対する「小路」といった意味合いとなり、単に大通りから入り込んだ小さな道、または細い道に過ぎないかのような印象を受けます。
 ところが、辻子が多く存在する地域とそうなった事情、つまり辻子の発生と理由を考えるとき、私としては辞書にある説明では、もう一つ行き届いた説明となっていないように思われて肯定しかねるのです。
 そこで、あくまでも「素人考え」ですが、「辻子の概念」といったようなものについて、私が折々に思いを巡らせていたところを、改めて記しておくことにしました。

追記:「ずし」の表記について、「厨子」としているものを見つけました。(’17.5.3)
 黒川道祐撰『嵯峨行程(西遊左券)』(延宝8年刊)に、「(略)叉北ニ常盤井アリ、相國實氏公ノ宅地今ハ民家トナル、今ハ常盤井ノ厨子ト云ヘリ、大峯ノ厨子ニ、役行者十代ノ法孫、日圓ノ塔殘レリ、(略)」とあります。

 

2. 辻子発生の遠因

 さて、京都盆地の地形を大雑把に見れば、北から南にかけて傾斜しており低くなっていきます。
標高で見ると市内北部の北山通が約75m、九条通にある東寺(教王護国寺)の五重塔の辺りが約24mだそうですから、その高低差は約50mです。

東寺五重塔

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 東寺の五重塔は、木造建築では日本で一番高くその高さは54m余りありますから、塔の先端と北山通はほぼ同じ高さとなります。
 そして、低くなっている南部でも、東方よりも西方がより低くなっています。つまり、南西部が最も低いという地形になっています。

 このような京都盆地の地形から、地表の地質は北部が鴨川(賀茂川)など諸河川の作用による扇状地で水はけの良い砂礫層、西南部は桂川や巨椋池の氾濫原で粘土やシルト(砂と粘土の中間の砕屑)などの低湿地堆積物で覆われているのが特徴です。

(次回に続く)




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