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2017年2月

2017年2月24日 (金)

路地(ろーじ)ーそのいろいろー 17

今回は中京区の4ヶ所です。

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2017年2月17日 (金)

辻子 ー陣屋辻子(妹辻子とも)ー

 姉小路通堀川東入 一筋目を北行して御池通に抜ける小路。
 鍛冶町・森之木町の南部分を通貫しています。

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 『京町鑑』は、「森之木町 此町南側下ル一町を 陣屋辻子叉一名妹辻子とも云」として、別称があったことも記しています。 
 なお同書に、「御池通 一名八幡町通」として、御池通の名称由来を記しています。
 それによれば、神泉苑前の通りであること、また、御池通両替町の人家裏にあった御池の旧跡にちなむとも云う。
 そして御池通の別称である八幡町通は、御池通高倉東入(南側)に御所八幡宮があることによるが、八幡町通と呼ぶのは烏丸通までを云うとしています。

 『京都坊目誌』では、「森之木町」に、「本町の南 字 妹之辻子 (貞享地圖にげんやの辻子とあり)に當る」としている。この「げんやの辻子」は、『京町鑑』に記している「陣屋辻子」であろうと思われます。
 そして、「鍛冶町」については、「始め毘沙門堂町  叉多聞町とも云へり  寶曆以来今の名を専稱す。姉小路北側中央より御池通に至る小路あり  之を妹ノ辻子と字す」と記しています。
 なお、多聞町・毘沙門堂前町の町名は、この辻子の東北に維新前まであった多聞寺の本尊が毘沙門天だったことによるとしています。

2017年2月10日 (金)

駄菓子屋(一文菓子屋)

 昔は、子供達が路地から路地へと駆け回る猥雑な町並みの中に、駄菓子と玩具類を狭い店頭に並べて、子供相手の商売をしている駄菓子屋(一文菓子屋とも言う)があちこちにありました。
 昭和30年代の東京下町を舞台とした映画、「ALWAYS  三町目の夕日 ‘64」にも駄菓子屋のシーンがあり、吉岡秀隆が駄菓子屋茶川商店の店主茶川竜之介を演じていました。

 駄菓子「船はしや」の店頭・店内風景

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 今では駄菓子屋を見かけることも殆ど無くなってしまい、この「船はしや」(寺町通綾小路下ル西側)以外には知りません。
 五色豆の「船はしや総本店」(寺町二条)から昭和13年(1938)から分家して開業したとのこと。

 船はしや総本店の看板

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 ところで、話は変わります。
 かつて、子供達が喜びそうな小さなオモチャを「おまけ」としてつけたキャラメルがありました。(グリコ、カバヤなど)
 おまけつきグリコは今でも販売されています。
 グリコと云えば、あのキャッチコピー「一粒300メートル」は、誰もが知っている名コピーです。
 また、キャラメルの外箱にはこのコピーとともに、「美味栄養菓子」あるいは「文化的栄養菓子」と入っていたのですが、現在では「ひとつぶ300メートル」「おいしくてつよくなる」になっています。
 ちなみに、森永キャラメルは「滋養豊富」「風味絶佳」です。

 今のグリコキャラメル

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 コピー「一粒300メートル」は、川柳結社「番傘」の主宰者であるとともに、コピーライターでもあった岸本水府(昭和40年没)という人の昭和11年(1936)の作でした。
 広告人としては、福助足袋・グリコ(現江崎グリコ)・壽屋(現サントリー)などで広告の仕事をしたようで、グリコでは広告部長を務めたそうです。

 最後に、岸本水府の川柳で私の好きなものを挙げておきましょう。
   酔っぱらい真理を一ついってのけ
   四十年かかって酒は毒と知る
   旅で見る酒という字の憎からず

2017年2月 3日 (金)

看板いろいろ その12

喫茶フランソア
 下京区西木屋町通四条下ル
 昭和9年(1934)創業
 かつては画家・映画人・演劇人・学者など著名な文化人が通ったという

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ホンダTN360
 本田技研
 昭和42〜45年(1967〜70)に発売された軽トラック
 その後の3度にわたるマイナーチェンジを経て昭和52年(1977)に生産終了

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一楽家
 下京区東洞院通高辻上ル
 居酒屋

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喜多古美術店
 東山区新門前通東大路西入
 陶磁器の器が中心の古美術商
 この看板は牡丹の透かし彫りに唐獅子という立派なものです

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