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2017年5月12日 (金)

辻子 ー伊勢殿構ノ辻子ー

 田丸町、東西俵屋町、伊勢殿構町を通貫していたものと考えられる。
 現在の土屋町通中立売から北行して一条通までを云ったものでしょうか。

 ところで、現在の土屋町通、北は一条通から南は竹屋町通まで通じていますすが、昔は非常に短い通りだったようです。
 『京都坊目誌』によれば、土屋町通は元和元年(1615)に開通した通りで、はじめ北は上長者町通から南が下立売通までの短い通りでした。
 宝暦12年(1762)刊の『京町鑑』では「此通上長者町より出水迄二町の間也」と記しているので、この頃には下長者町通から南の出水通まで延長されていたことが判る。
 したがって、伊勢殿構ノ辻子は北に延伸された土屋町通の北端部にあたるようです。

_01

 『京都坊目誌』「田丸町」の項に、「相伝ふ聚楽城廃城の後、此辺田圃と化し、中に僅少の人煙ありしと。当時田丸町より接続地に伊勢殿構ノ辻子あり、今其字名を称せず。僅かに北側に其址を存せり」としています。

伊勢殿構町の仁丹町名表示板

_01_2

 天正期、豊臣秀吉の築いた聚楽城が興隆した頃、伊勢兵部少輔の屋敷に通じていたことから、伊勢殿構ノ辻子と称したようで、伊勢殿構町の町名もこれに由来しています。
 なお、伊勢兵部少輔(伊勢貞昌)は大名ではなく、島津藩の筆頭家老だったと云うことです。

 

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