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2017年6月 2日 (金)

辻子 ー硯屋辻子ー

 上立売通の、大宮通と智恵光院通との間。
 樋之口町・硯屋町・伊佐町を通貫しています。

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「樋之口町」について、『京都坊目誌』では「始め下華開院と云ふ。寶暦年中今名に改む」としています。
  ちなみに、樋之口町の北隣は「華開院町」で、かつて町の西側には山号・寺号を付さない華開院と言う寺院があったそうで、これが町名の由来となっているという。

 それはそうと、どのように考えればよいのか戸惑ってしまうことが出てきました。
『京都坊目誌』には「硯屋町 町名起源不詳 始め觀世の辻子と云ふ。後東硯屋町、西硯屋町のニとなり。維新の際一町に合す。」と記しています。つまり、元・觀世辻子=現・硯屋辻子は、智恵光院通の東側にあることになります。
 一方、当ブログ '16年8月5日の記事「觀世辻子」では、智恵光院通の西側にあるとしていました。

 そうすると、『京都坊目誌』の云うところでは、かつては「現・硯屋辻子」部分をも含めて、つまり上立売通の浄福寺通と大宮通間を通して「觀世の辻子」と称したと云うように読めるのです。
 しかし、同じ上立売通とは云いながらも、智恵光院通を挟んで西側と東側では南北にズレています。1つの辻子が真っ直ぐに通っていないのは、私にとって容易には信じ難いことのように思えるのです。(智恵光院通の部分を含めて鍵形の辻子であったとするならば話は別です)

 また、『京童』は「あぐゐ通西へ ◯くはんぜの辻子 ◯聖天岩神門前町 ◯ゑびす町」としており、『京羽二重』も「觀世辻子 大みやどをりあぐいんにしへ入所」と記していますから、硯屋辻子もかつては觀世辻子と言ったというのは信じるべきことなのでしょうか。
 その辺りについて、新しく判明したことがあれば改めて記事にしたいと思っています。

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