大原と大原野 ー多い類似点ー 3
前回は、和歌に詠われている同名の景物(山や清水など)を幾つか見ました。
ところが、ほかにも祭礼の名前が似通っているだけでなく、祭礼も同じ日に行なわれるものがありました。
6. 二月上卯日を祭礼日としている
『菟芸泥赴』に、「二月上卯日は大原祭あり競馬などもあり 西山の大原野祭も二月上卯日なり故あるにや」と記しています。
*「上卯」というのは、卯の日が月に2回ある時は先の卯の日ということです。
大 原
『菟芸泥赴』の記述にもかかわらず、現在では洛北・大原に2月上卯日を祭礼日とする神社は存在しないようです。
大原野
《大原野神社》
洛西・大原野の大原野神社(西京区大原野南春日町)は現在の祭礼日は4月8日ですが、昔は菟芸泥赴に記すように2月上卯日と11月中子日に祭礼が行われていました。
奈良の春日社(今の春日大社)は藤原氏の氏神社ですが、桓武天皇が長岡京にさらに平安京へと遷都したことで、参拝に不便となったことから小塩山山麓に勧請し、平安京を鎮護する神として祀られ、地名から大原野神社と称されました。
したがって、祭礼日は春日神社と同じ2月上卯日でした。
ところで、多くの地誌の記述では、両地に同名のものが存在するのには、きっと理由があるに違いないけれども、その由來や繫がりは詳らかでないとしているのです。
少し長くなりますが、『山州名跡志』の「朧ノ清水」から引いておきます。
「顯昭云ク。能因歌枕ニ云ク。朧清水ハ山城國大原ノ里ニアリトイヘリ。或人申侍シハ。江文ノ東ニアリ。良暹カ大原ノ山荘ノ邊ト云云 私ニ曰ク此ノ水江文明神ノ東ナリ。叉云フ西山ノ大原野ニ朧清水世和井ノ水アリ。所ノ名モ亦大原ト云フ。定メテ所以アルベシ未考。叉此所草生ノ西山南北ヲ小鹽山ト摠名スルナリ。然レトモ和歌ニ詠スルハ西山ノ小鹽ナリ。」
【註】顕昭:平安末期から鎌倉初期の歌僧、法橋に叙せられた
能因:平安中期のひと、中古36歌仙の1人で晩年は大原に隠棲
良暹:平安中期の歌僧、大原に隠棲した
ということで、好奇心に駆られて調べてみたものの、結果として疑問は全く解決しませんでした。
そこで、以下は私の想像です。(したがって、断るまでもなく責任は持てません)
最初に見たように大原と大原野は、ともに平安時代以来の由緒ある地でした。そして、和歌に地名が詠み込まれるときは、共に「大原」と詠まれるため混乱が生じがちでした。そうした中で、互いに名所を競い合い、張り合っていたのだろうと思うのです。
その結果、双方が相手には有るけれども、自分の所には無い名所を作り上げたのだろう、というように考えました。
上品にして優美な趣や味わいには欠ける推測ですが・・・。さてどんなものでしょうか?
【参考にした地誌等】
京童、大原野一覧、北肉魚山行、菟芸泥赴、京羽二重、山州名跡志、京城勝覧、山城名跡巡行志、新撰京都名所圖絵、京都市の地名
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