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2018年1月26日 (金)

京七口と鯖街道 ー若狭路のいろいろー 4の4

Ⅳ. 「長坂口」から「長坂越え」を行く

 「長坂口」(「北丹波口」「蓮台寺口」とも)は、千本通北端の鷹峯にありました。「長坂越え(北丹波路)」は、鷹峯から京見峠を経て杉坂に至る道で、丹波・若狭へ通じており古道「丹波道」にあたる。

《長坂口跡付近》 

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 現在、料亭「然林房」の東側を北上する道(府道31号)は新しい道であり、然林房の西側の千束から一ノ坂・長坂を経て堂ノ庭に出る旧道が、本来の「長坂越え」だったのです。
 鷹峯は古代末から軍事上の要衝であり、また物資の集散地でもありました。
 しかし、近代になって京都西北の双ヶ丘の西側を起点に、宇多野・高雄を経て周山に至る「周山街道」が開通します。そのために、杉坂口で長坂越えと合流してはいるのですが、かつての要衝地としての鷹峯は寂れ衰えてしまいます。 
 なお、近世までの山国庄(現・京北町のR477沿道一帯)は禁裏御料所(皇室の所有地)であったため、長坂越えはその経路にあたることから「山国路」とも称されたようです。
 ちなみに、明治28年に始まった京都の時代祭は10月22日に行なわれますが、この日は桓武天皇が平安京に奠都した日に当たると云うことです。この祭の時代行列では山国鼓笛隊が先頭を勤めています。これは明治維新の戊辰戦争の折に山国隊を組織して戦った功により参加しているとのことです。

《長坂越え》 千束付近

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《手作りの道標》

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「長坂口」から長坂越えで若狭へ向かう経路には、杉坂の先で幾つかのルートに分かれていました。
 ちなみに、『山城名跡巡行志』には、「杉坂ノ村口ニ石標有リ 右ハ山國周山道 左ハ若狭道ト」とある。

1. 雲ヶ畑を経由するルート
 このルートは『稚狭考』の「八原へ出ずして澁谷より弓削・山國に出て行道」に該当します。
 《経路》 長坂口、杉坂、持越峠、雲ヶ畑、岩屋、桟敷ヶ岳東麓、祖父谷峠、(京北)井戸、小塩、ソトバ峠、八丁、品谷峠、佐々里、田歌、五波峠、(名田庄)染ヶ谷・堂本を経て小浜へと至る。

2. 深見峠から北ヘ美山を経て名田庄まで縦断するルート
 このルートは『稚狭考』の「丹羽八原通に周山を經て鷹峰に出る道」に該当します。
 《経路》 長坂口、杉坂、周山、深見峠から北上、河内谷(ホサビ山の東麓)、美山の「中」へ、知見口から北上、知見・八原を経て、八ヶ峰知見坂(山城・若狭の国境)、(名田庄)槙谷・堂本を経て、小浜に至る。
 このルートは、前記「1.雲ヶ畑を経由するルート」に比べて距離が相当短くなるため、古くから利用されていたようです。

3. 清滝川沿いに行くルート
 《経路》 長坂口、杉坂、供御飯峠、(笠峠手前)小野、清滝川沿いに大森へ、西、茶呑峠、天童山、飯森山、(京北)井戸へ。
 そして井戸から先は、上記「1.雲ヶ畑を経由するコース」と同じ。

4. いわゆる西の鯖街道ルート
 《経路》 長坂口、千束、長坂、京見峠、杉坂、中川、小野、笠峠、細野、周山、弓削、深見峠、美山、堀越峠(山城・若狭の国境)、口坂本、名田庄、小浜へ至る。

   ー以上で本シリーズは終りですー

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