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2018年2月23日 (金)

辻子 ー宮の辻子ー

 松原通の轆轤町と新シ町の境界となっているT字形路、ここから東大路に至る間が「宮の辻子」で、「宮が辻」とも云ったようです。
 松原通の新シ町と清水五丁目を通貫している。

宮の辻子
 T字路(六道の辻)左手の石畳奥は六道珍皇寺。

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六道の辻
 六道珍皇寺門前のT字路を古くから「六道の辻」と云った。そして、ここから南の興善町にかけてを六道大路と云ったようです。
 しかし、確かな場所ははっきりしないようで、『山城名跡巡行志』は「八坂ノ西愛宕寺ノ東ニアリ其所不詳」としています。
 ちなみに、『都名所圖会』は「本堂の前にあり」としており、図も正にそのように描かれている。(左端の中程の建物が本堂)

Photo_2
 「六道の辻」は、「この世」と「あの世」の境界、つまり「冥界(冥途)」への入口とされた。
 「六道」というのは、仏教で地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界を云うようです。 

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 『京都坊目誌』はこの辻子について、「宮か辻 叉宮の辻子に作る、新し町、清水五町目に跨る。松原古昔五條通を云ふ。山城名勝誌に或云宮ノ辻子は六波羅の東六道の辻の邊とあり。今此名を逸す」と記しています。

 また、「明治二年まで其南一町の所に宮辻町あり。同年竹林町に合す」とあります。
 因に、南一丁にあった宮辻町は、明治2年に竹林町に合併されたため今ではこの名は失われたとしているが、これは竹村町に合併されたの誤りかと思われます。

 「新シ町」については、松原通は早くから開けていたが中世には通の南北ともに建仁寺領であり、南側は菜畑で北側は竹林であったとしている。
 また、宝暦10年8月に許可を得てこの一帯を開拓、民家が新しく建ったことから「新(あたら)し町」と名付けたとしています。
 「清水五町目」は云うまでもなく、清水寺から五町目に当たることが町名の由来です。

 

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