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2018年5月

2018年5月18日 (金)

暖簾いろいろ その23

細 野
  中京区高倉通御池下ル
  仏壇・仏具

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紙司柿本
  中京区寺町通二条上ル
  紙製品
  弘化2年(1845)の創業で、元(享保期)は竹屋だったと云う

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嵩山堂はし本
  中京区六角通麩屋町東入
  書筆文房具など

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清課堂
  中京区寺町通二条下ル
  錫・銀はじめ金属工芸品
  天保9年に錫師として創業

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2018年5月11日 (金)

時雨亭(しぐれのちん)

 藤原定家は「百人一首」を嵯峨小倉山の山麓にある山荘で編んだと伝わることから、「小倉百人一首」とも云われます。しかし、実は撰者・成立年ともに確認できていると云うわけではないようなのです。
 定家のこの山荘は小倉山荘あるいは嵯峨山荘とも呼ばれたのですが、のちには「時雨亭(しぐれのちん)」と称されるようになりました。
 ところが、実はこの「時雨亭」跡として伝わるものがあちこちにあって、小倉山の近辺だけでも厭離庵・二尊院・常寂光寺の三ヶ所にあります。

 「百人一首」は鎌倉時代の初めの頃に、藤原定家が各時代の著名な歌人百人の歌を一首ずつ選んだものです。(定家は「新古今和歌集」の撰者であり、「新勅撰和歌集」をも撰集しています)
 定家は藤原俊成の息(次男)で、京極殿あるいは京極中納言と称されました。
 この百人一首は、鎌倉幕府御家人で歌人の宇都宮頼綱(出家して蓮生)から、山荘の襖の装飾のために色紙の作成を依頼された定家が、選んだ歌をしたためたものだそうです。

《定家山荘跡の歌碑(常寂光寺)》
  小倉山みねのもみじ葉心あらば
     今ひとたびの行幸待たなむ 貞心公(藤原忠平)

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 時雨亭の古跡とされる所が、何故このようにあちこちに存在するのか?

 『都名所圖会』中の「厭離庵」に、その理由を次のように記しています。

 「京極黄門定家卿の山荘あるひは時雨亭と號る舊跡、ところ〴にあり、かの卿の詠歌により、又は少しき因になづみて後人これを造ると見えたり。
 続拾遺 いつはりのなき世なりせば神無月
         誰まことより時雨そめけん 定家
此歌を種として謡曲を作したり、時雨亭も是より出たり、実あるにあらず。」

 

 つまり、「時雨亭」を称する旧跡はあちこちにあるけれども、これは定家の読んだ歌、あるいは何らかのつながりや縁故をもとに、後世の人達が造り出したと見られるとしています。
 
 また、宝生流謡曲の「定家」、そして「時雨亭」という名称も、定家の歌「いつはりのなき世なりせば・・・」を素材としているとされるが、事実ではないとする。 
 

 なお、『都名所圖會』以外の地誌においても、時雨亭は「舊跡所々ニアリ(『山州名跡志)」、「いづれか其所さだかならず(『京羽二重織留』)」などとしています。

 次下は、時雨亭跡の記述がある諸本をいくつか拾ってみました。 

1. 厭離庵 (右京区嵯峨二尊院門前善光寺山町2)
 「小倉の山荘といふは、清涼寺西の門より二尊院までの道、二町ばかりの民家ある所を中院町といふ。いにしへは愛宕山の末院あり、今絶て所の名とせり 此半を北ヘ入る細道あり、竹林の後のかたに門ありて東に向ふ、これを厭離庵といふ。門の内に柳の水といふ清泉あり、草庵の跡は西の高き所と見えたり。(後略)」『都名所圖會』
 『山城名跡巡行志』『山州名跡志』などにも記述あり。

 《小倉山荘旧址碑》

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 《厭離庵》

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2. 二尊院 (右京区嵯峨二尊院門前長神町27)

 「黄門定家卿の山荘といふ舊地は、仏殿のうしろの山腹にあり。かの卿より以前諸堂魏々たり、後世小倉山に寄りて號る物か。」『都名所圖會』
 『山城名跡巡行志』などにも記述あり。

 《時雨亭跡》

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 《二尊院境内》

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3. 常寂光寺 (右京区嵯峨小倉山小倉町3)

 「定家卿の社は南の山上にあり。此所も彼卿の山荘のよし。(後略)」『都名所圖會』
 『京羽二重織留』『山城名跡巡行志』などにも記述あり。

 《時雨亭跡碑》

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 《常寂光寺からの展望》

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 その他にも、次のようなものがありました。
4. 相国寺塔頭普光院 (上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701)
  『京童跡追』『山州名跡志』『京羽二重織留』
5. 般舟三昧院(元・歓喜寺跡) (上京区今出川通千本東入般舟院前町151)
  『都名所圖会』『山城名跡巡志』『山州名跡志』『京羽二重織留』
6. 白毫院 『京童跡追』
  雲林院の末院だったらしく、南北朝期までは存続したが応仁の乱で荒廃したとみられ、伝わる所在地も一定しない。
7. 小倉山 『京童』
8. 衣笠山東麓 『山州名跡志』

2018年5月 4日 (金)

空・光・水・風 その20

光と影

アオキ

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羊歯(シダ)

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御所の御池庭
 
水面の樹影

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大山崎桜公園
 
散り敷く落葉

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