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2018年5月25日 (金)

辻子 ー百々辻子ー

 百々辻子(どどのずし)は、寺之内通の小川通と堀川通間で、
 百々町を東西に通っている。

百々の辻子

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 『京都坊目誌』に、百々町の町名起源を「百々は元地名なり寶鏡寺あり百々の御所と云ふ。古老の傳説に昔時百々某と云ふ武士の第宅。今の寶鏡寺の地にありしと。今按百々某は何人たるを知らず」と記す。
 地名の由来となった武士の百々氏については詳しい事は判らないと云う。
 また、百々の名が伝わる最も古い例としては、『今昔物語』に地名「どとの辻」として出ている由。このことから、少なくとも平安時代中期には開通していたことが判ります。

宝鏡寺(百々御所)
 
宝鏡寺は代々歴代の皇女が住持となる門跡尼院で百々御所と呼ばれた。光格天皇遺愛の人形や市松人形などを蔵することから、人形寺としても知られる。

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「小川」跡
 
今は小川通と町並みになっています。
 通りの右手には表千家不審庵と裏千家今日庵が並びます。

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百々橋の礎石

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 「百々橋 小川の流れに架す。乃ち當町より寶鏡寺東町に通す。石橋なり。長四間一分幅二間二分。都下の名橋なり」とありますから、長さは7m余りで幅は4m弱の橋だったらしい。
 このように百々橋は、百々町と宝鏡寺東町の境界を流れる小川(賀茂川の分流)に架けられた石橋で、都下の名橋とされたようです。
 応仁元年5月に始まった応仁の乱では、山名宗全の西軍と細川勝元の東軍が、この百々橋を挟んで数度にわたって交戦したと云う。

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