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2018年7月27日 (金)

辻子 ー道正辻子ー

道正辻子

Photo
 道正辻子は新町通寺之内上ル 一筋目を東行して木下町通(衣棚通)までを云う。
 道正町を東西に通貫している。

 辻子の名称について、『京都坊目誌』には「道正庵此町あり故に名とす。維新前は竪道正町上組下組及び道正辻子。叉道正權町と呼ぶ三町たり。明治元年十二月合併して一町となる」とあります。
 ということで、道正庵のあったことが辻子名の由来となっています。

仁丹町名表示板「道正町」

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 この道正庵は道正という人の屋敷ですが、『拾遺都名所圖会』の記述からかいつまんで記してみます。
 「道正伝」によれば、道正の俗姓は片山隆盈(たかみつ)、越前国永平寺の開祖道元和尚に随行して中華(宋)に渡り、和尚とともにあちこちと巡っているとき、隆盈が山中で俄に発病します。そして、今まさに息が絶えようとした時、一人の老翁が忽然として現れ、霊薬を授けたところ忽ちにして病気は癒えた。
 その翁が隆盈に言いました。お前が山野も辞さずに師のお供をするのには感心するので、今用いた薬の製法を授けよう。帰国したら子孫に伝へて人々の病苦を救うべきである、我れは日本三ツの峯稲荷明神なりと云うやいなや姿が見えなくなった。
 帰国して後、道元禅師は深草の里に禅寺を営まれ、隆盈は髮を剃って道正と名乗った。そして道正は三ツの峯稲荷明神を祀って参詣すると、神感があって解毒円の製法を授けられた。
 それ以後、道正の家は三十余代にわたって家名を相続し、家を曹洞宗の寄宿所とし、また解毒円を諸国に広めたと云う。

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