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2018年11月

2018年11月30日 (金)

暖簾いろいろ その27

吉 川
 中京区富小路通御池下ル
 天ぷら・料理旅館

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ホステル  オトロ  ムンド
 上京区下長者町通千本西入ル六番町
 宿泊施設

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織部司  宗 悦

 上京区下立売通下の森東入 西東町
 西陣織
 店の名前が一風変わってますね。「織部司(おりべのつかさ)」は、古代律令制の大蔵省に属した役所で、高級絹織物の生産を司った。
 「宗悦」は、明治時代に民衆的工芸品を称揚して民芸運動を起こした思想家の柳宗悦から?。

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京町家  小鳥遊(高梨)
 中京区新町通六角下ル
 京町家の宿泊施設

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2018年11月23日 (金)

空・光・水・風 その25

水5態

 梨木神社の手水場

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 アサヒビール大山崎山荘美術館庭園で 1

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 アサヒビール大山崎山荘美術館庭園で 2

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 アサヒビール大山崎山荘美術館庭園で 3

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 アサヒビール大山崎山荘美術館庭園で 4

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2018年11月16日 (金)

路地(ろーじ) ーそのいろいろー 28

上京区の2件

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下京区の2件

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2018年11月 9日 (金)

突抜 ー元真如堂突抜町ー

 元真如堂突抜町は、今出川通から一筋南の通り(石薬師通)で、寺町通と「中筋通」の間を言う。
 真如堂前町と真如堂突抜町を東西に通貫していました。

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 元真如堂突抜町は、この写真の背後(東)の寺町通から、正面に見える京都御苑石垣築地の向こう(西)にあった「中筋通」までを通る道でした。

 『京町鑑』は、「◯寺町より西へ中筋通まで ㋵元真如堂突抜町」と記しています。
 ところで、「中筋通」というのは、かつては寺町通から西へ三筋目、今の梨木通から二筋西にあった道です。したがって、今では京都御苑に取り込まれてしまったため無くなっています。 
 そして「中筋通」は、北は石薬師通から南は清和院御門(当時は今より西にあって南面していました)のある広小路通までを南北に通じる道でした。
 石薬師御門を入ってすぐの所にある公衆トイレの辺り、そして、いまの京都迎賓館東側を南北に通る道だったようです。

 また、『京都坊目誌』には「▲眞如堂突抜町 寺町今出川一筋下る西入町を云う  開通年月詳ならず。或云元祿五年新開すと。此町東は眞如堂前町。西は道路を隔てゝ皇宮地。南は染殿町。北は大原口突抜町に境す 町名起原 眞如堂前町に突入する故なり」として、突抜周辺の位置関係を記しています。

 ちなみに、明治2年に実質的な東京遷都がなされ、多くの公家達も東京へ引き移りました。
 このため、公家町はすっかり荒廃したことから、明治10年から16年にかけて、公家屋敷の撤去・外周石垣土塁工事・道路工事・樹木植栽など「大内裏保存事業」がおこなわれました。
 こうして、現在のような京都御苑の体裁になりましたが、このときに公家屋敷とともに「中筋通」などの道も消滅したのです。

2018年11月 2日 (金)

看板いろいろ その24

亀屋良永
  中京区寺町通御池下ル
  御池煎餅

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菊一文字
  中京区三条通寺町東入
  打刃物(鋏・包丁・ナイフ)

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三条タナカ
  中京区三条通寺町東入
  バッグ

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芝金聲堂
  中京区二条通河原町東入
  本(佛教書)

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