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2019年1月

2019年1月18日 (金)

看板いろいろ その26

清課堂
 中京区寺町通二条下ル
 錫・銀はじめ金属工芸品
 天保9年に錫師として創業

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田 毎
  中京区三条通寺町東入
  蕎麦屋

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富田歯科医院
 中京区三条通寺町西入
 一部屋をうずらギャラリーとしている

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鳴門鯛焼本舗
  中京区三条通寺町東入
  鯛焼き

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2019年1月11日 (金)

突抜 ー稲荷町突抜ー

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 「いなり町突抜」は、間之町通の高辻と松原間を云う。
 稲荷町と本燈籠町を南北に通貫しています。

「本燈籠町」の仁丹町名表示板
  
本燈籠町の町名由来については、『京都坊目誌』に「東洞院松原上る燈籠町より本町北側に亘り。之を燈籠堂浄教寺の舊地とす。故に稱す。」とあります。

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 「稲荷町」について『京都市の地名』には、「寛永14年洛中絵図に“いなり町つきぬけ”と記しており寛文後期洛中洛外之絵図に“いなり町”とある。しかし寛文12年(1672)洛中洛外大図には“稲荷町突抜町”とみえ、江戸中期までは両者を併用していたらしい。宝永2年(1705)洛中洛外絵図以後の絵図は、“稲荷町”となるから、17世紀の半ばには現町名に固定したと推察できる。」としています。

 ちなみに、寛文5年(1665)刊の『京雀』には「たかつじさがる  ◯つゞらや町」とあります。

 稲荷町あるいは稲荷町突抜の名称由来は、江戸初期の俳人・歌人・歌学者である松永貞徳が、自身の宅地に勧請した稲荷社(花咲稲荷社)が当町にあることによる。
 なお、稲荷社が花咲稲荷と称されるのは貞徳が花咲亭逍遥軒と号したことによる。

花咲稲荷社

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松永貞徳の花咲亭址

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2019年1月 4日 (金)

謹賀新年

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 皆様、良い正月をお迎えになりましたか。
 穏やかな天気の新年となりました。酒瓮斎は今年も早速に美味しいお酒をいただいています。

 皆様にはいつも当ブログをご覧いただきまして、ありがとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
 ところで、残念ながら世間は政治も経済も先行き不透明で、波乱含みの年となりそうな感じです。

 あすよりの後のよすがはいざ知らず
    けふの一日は酔ひにけらしも  良寛

 私が古稀となった年にボケ防止のために始めたブログも、喜寿も過ぎて8年となりました。私事ながら昨年は取り込みごとがいろいろ起る中、記事の更新はなんとかこなす事ができました。
 しかし、まだもう少ししぶとく続けてみたいと思っていますので、お付き合い願います。
 

 

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