2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

リンク集

無料ブログはココログ

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

2019年3月

2019年3月22日 (金)

突抜 ー御寺内突抜一町目・同二町目ー

  御寺内突抜は、下松屋町通にあって現・突抜一町目(丹波口通から花屋町までの間)と、その南隣の現・突抜二町目(花屋町通から正面通までの間)を通貫していました。

御寺内突抜一町目

_01
御寺内突抜二町目

_01_2
 現・突抜一町目がかつての御寺内突抜一町目(丹波海道一町目)であり、現・突抜二町目はかつての御寺内突抜二町目(丹波海道二町目)でした。

丹波海道町の仁丹町名表示板

_01_3
突抜二町目の仁丹町名表示板

_01_4
 ちなみに、下松屋町通は「一貫町通」とも称していました。
 しかし、この別称は松原通から丹波口通(旧・丹波海道)までの区間に限っての呼称であって、丹波海道町以南については西本願寺寺内町であったため一貫町通とは呼ばなかったようです。

 その点について『京町鑑』の記述を見ると、
 「◯一貫町通」の項には、「△此通一貫町と名付たる事詳ならず ●此通は松原より南は丹波口下ル所迄の通にて大宮の西の通也  凡北にて松屋町通にあたるゆへこゝに附す」とする。
 また、一貫町通の「◯同五丁目 ▲丹波海道町  此町南の辻丹波海道也  則丹波口と云  但此丹波海道より南は一貫町とは呼ず  其故は是より南は西六條御寺内にて御支配の境有」としている。
 そして、一貫町五町目にあたる丹波街道町の南側を、「◯御寺内突抜一丁目 ▲丹波海道一町目 ◯同南町 ▲二町目」と記しています。

 なお、上記引用文中の「丹波口」は、いわゆる「京七口」の一つで、山陰街道の出入口となっていました。

 また、下松屋町通(通称・一貫町通)の呼称は、その北部が松屋町通にあたることから、南部を下松屋町通と称したとのことです。

2019年3月15日 (金)

看板いろいろ その27

御筆墨硯司
  中京区寺町通二条上ル要法寺前町
  筆、墨、和紙、硯など
  天明元年(1781)の創業とか

 

Dscn0365_01

 

 


キンシ正宗
  酒造業
  天明元年(1781)の創業とか  

 

_01_6

 

 


井筒八ツ橋本舗
  中京区三条通寺町東入石橋町
  八ツ橋(堅焼き煎餅)
  文化2年(1805)創業とか

 

_01_7

 

 


桂月堂
  中京区寺町通姉小路下ル
  西洋菓子(明治13年創業の老舗)
  看板文字は富岡鉄斎(文人画家・儒学者)の書

 

_01_8

 

 

2019年3月 8日 (金)

突抜 ー相国寺突抜ー

 室町通上立売下ル裏築地町の南端を、東方へ大聖寺門跡の南側を経て、東方の烏丸通に至る道を「聖護院辻子」と称しました。
 「相国寺突抜」はこの聖護院辻子の東にあったようなのです。
 つまり、烏丸通から東方の相国寺総門に至る相国寺の門前通を云ったようです。
 したがって、この相国寺突抜、現在では同志社大学のキャンパスに取り込まれてしまい、無くなってしまいました。

相国寺突抜
 築地塀の先に見えるのは相国寺の総門

_01_3

 『京町鑑』には、次のように記しています。
 「烏丸通」の記述で、突抜の位置を「上立賣下ル 御所八幡町」、「其南の辻西入町 聖護院辻子」と記したあと、「同辻東入町 ㋵相國寺突抜 西町東町二町也 ◯鹿苑院突抜とも云  則此東町の東の筋は相國寺の門前通也  叉此西町東町二町を二本松町とも云」としています。

 なお、上記の引用文にあるように、この相国寺突抜には「鹿苑院突抜」という別称もあって、東町と西町に分かれていて二本松町とも云ったようです。

聖護院辻子から相国寺突抜のあったと思しい所を望む
 烏丸通の向こう側(東側)は同志社大学キャンパス

_01_4

2019年3月 1日 (金)

空・光・水・風 その26

 5態

_01
1409261_01
1409262_01
1409264_01
1409266_01

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »