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2019年4月

2019年4月26日 (金)

高野川沿いの町をめぐる その3

高 野

 西は高野川、北部から東部にかけて一乗寺・北白川、南部は田中に接している。
 明治22年(1889)田中村に属していたが、大正7年(1918)高野として京都市左京区に編入されました。

 元々、この地は暴雨のときには高野川が溢れる荒れ野でした。近世になってから、高野川に堤と道路を設け、荒地が開拓されて「高野河原新田」(新田村)が開かれたのです。
 しかし、始めの頃は高野川の水害常習地で田が荒廃するために石高を付けることができず、年ごとに収穫量を検査する検見取(けみとり)と言う方法で年貢額が決められたということです。

「高野玉岡町」の仁丹町名表示版

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 近代の明治41年(1908)になって、高野東開町に鐘淵紡績(のちのカネボウ)の京都工場が開設・操業開始されたことで、ここは急速に都市化が進んだという。
 工場は昭和50年(1975)に閉鎖されて、跡地一帯は日本住宅公団の東大路高野第三住宅となったのですが、今に残る当時の施設(ボイラー室)が現在は集会所兼管理事務所として使われています。

元・鐘ケ淵紡績京都工場の残存施設
 集会所・管理事務所(元鐘紡のボイラー室)

Photo_57
 次の2点は外壁が残されている

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2019年4月19日 (金)

高野川沿いの町をめぐる その2

田 中

 田中は高野川の最下流、賀茂川との合流点東岸に位置していて、北は高野・一乗寺、東は北白川、南は吉田に接しています。
 大正7年(1918)、田中村は京都市左京区に編入されました。

「田中関田町」の仁丹町名表示板

Photo_38

 田中関田町の北東部(今出川通鞠小路西入)には、かつて住友家が所有し、現在ではそれを譲り受けた京都大学が所有する広大な「清風荘庭園」があります。
 ところがこの庭園、残念なことに一般への公開はされていません。

清風荘庭園

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 觀音開き門扉の透かし彫り部分から覗いてみました。

Photo_63

 重要文化財に指定された建造物と日本庭園、江戸時代には公家の徳大寺家別荘「清風館」でした。 
 明治になって住友家に譲渡されたのですが、この徳大寺家に生まれのちに西園寺家を継いだのが、明治・大正・昭和の政治家で「最後の元老」といわれた西園寺公望です。
 清風館は邸内を拡張整備して名を「清風荘」と改めて、西園寺公望の京都における別荘としたものです。
 ちなみに、明治24年(1891)5月の大津事件で、襲撃に遭って負傷したロシアの皇太子(のちのニコライ二世)が静養したのがこの清風荘だったそうです。


田中神社(田中西樋ノ口町)

Photo_64

 室町時代、応仁・文明の乱の頃、田中村産土神の田中神社とその周辺は、田中郷の自衛のために「田中構(たなかがまえ)」という環濠集落が築かれた。その遺構は明治の頃まで残っていたそうです。

田中神社の孔雀神籤
 お神籤とともに折り紙で折られた孔雀が卵形ケースに入っています。

Photo_69  

 本物の孔雀も飼育されていました。

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2019年4月12日 (金)

高野川沿いの町をめぐる その1

はじめに

 このシリーズでは、高野川流域を巡り歩いて、少しばかり往時の名残りを偲んでみることにしました。そして、市内中心部ほどには多くないのですが、残っている「仁丹町名表示板」のいくつかをお見せします。

 高野川流域の一帯が京都市左京区に編入される前は、「愛宕郡(おたぎぐん)」に属する村々でした。それらの一帯を高野川と賀茂川の合流点から、高野川の左岸(東岸)に沿って上流へと順に見ていきます。
 高野川左岸には、北ヘ順に田中・高野・山端と続きます。また、山端の対岸つまり高野川の右岸(西岸)には松ヶ崎が位置しており、その上流は川を挟むかたちで、上高野・八瀬・大原の順に北東へと続きます。


 京都市街地の北西から流れてくる賀茂川と、北東から流れてくる高野川の合流する所、そこは三角州になっていてその南端は鴨川公園となっています。
 地元ではここを《鴨川デルタ》と称していて、時候の良い頃の休日には多くの親子連れや若者グループで賑わう憩いの場となっています。
 それにしても、なぜ《高野川デルタ》ではないのだろう? やはり、昔から鴨川の方が世間によく知られた河川だったからなのでしょうか?

鴨川デルタ

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 ちなみに、賀茂川の源流は、京都市北区の北端と南丹市の境界近くにある桟敷ヶ岳付近です。そして、北山の山中から上賀茂を経て市街地へと入ってきます。
 また、《鴨川デルタ》から南では、川の名前の表記が「賀茂川」から「鴨川」に変わります。
 そして、鴨川デルタの西方一帯は《出町》と云う通称で呼ばれています。

高野川御蔭橋から北方を望む

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 一方、高野川の源流は、有名な観光地である大原の北部、京都・滋賀の府県境に近い小出石(「こでし」と読み、「小弟子」とも書かれた)の北部山中です。そして高野川は、大原では「大原川」、八瀬では「八瀬川」の呼称があり、どちらも歌枕になっている。
 この高野川の東側にほぼ沿うように北上するのが、滋賀県(近江)・福井県(若狭)へと通じる若狭街道(大原街道)で、「鯖街道」という通称もあります。
 この辺りは、京都の出入口「京七口」の一つであった「大原口」でした。

「鯖街道」の道標

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【次回へ続く】





2019年4月 5日 (金)

空・光・水・風 その28

アサヒビール大山崎山荘美術館と周辺にて

 休憩所窓ガラスの映り込み

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 し だ

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 モクレン

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 さくら

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