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2019年5月 3日 (金)

高野川沿いの町をめぐる その4

山 端

 高野川の東側にあって高野の北東隣り、上高野の南西隣りに位置する。
 八瀬・大原などの喉元にあたり、昔から若狭街道の要衝の一つでしたが、昭和6年(1931)に京都市左京区に編入されました。

「山端森本町」「山端川岸町」の仁丹町名表示板

Photo_67
Photo_68

 『山城名跡巡行志』には、山端について「(略)高野河ノ東ノ端ヲ北ヘ上リ 新田山端 茶店多シ ヲ經テ此所ニ來」とあります。
 また、「山端 村名 松崎ノ東 高野河ノ東ニ在 松崎村出戸 大原街道也 茶店數家」と記しています。

 上記の引用文にあるように、山端は高野川挟んで東側にあるのですが、元は松ヶ崎の出戸(飛地)だったようです。
 そして山端には、大原街道(若狭街道)を往来する旅人のための茶店が多かったようです。

山 端(『拾遺都名所圖会』から)
 絵図右上の説明書きは、「山端  光武帝は麦飯を以て飢を凌ぎ、後漢の社稷を剏め給ひけり。ここも麦飯を名物とす。是もかの目出度ためしによる物ならんか。」とあります。
 (図にカーソルを置いてクリックすると画像が拡大できます)

Photo_77

平八茶屋
 麦飯とろろ膳が名物です

Photo_51

 そうしたかつての茶店の一つで現存するのが、天正年間の創業という平八茶屋なのでしょう。
 また、廃業してしまったのですが、鯰料理で知られた十一屋も江戸時代寛永年間の創業ということで、そうした茶店の一軒だったようです。

 「山端」の名称由来は、松ヶ崎の東山が東に向けて高野川に突き出た所、山の端に位置するところから来ているようで、「山鼻」「山嘴」とも記したようです。
 『山州名跡志』には次のようにあります。「山端 松崎ノ東北ニ在リ 民家有リ 此所松崎山ノ東ノ崎ナリ」




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