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2019年7月

2019年7月26日 (金)

暖簾いろいろ その30

美 齢
 上・黒門通元誓願寺上ル 
 中国料理

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静 屋
(西陣店)
 上京区大宮通今出川下ル
 ゆば料理・ゆば販売

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なごみ煉
 下京区仏光寺通室町東入ル釘隠町
 居酒屋

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簡易宿泊所

 上京区中立売通浄福寺西入
 民泊

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2019年7月19日 (金)

辻 子 ー宇賀辻子ー (補訂)

宇賀神社

Photo_20190710145701
 過去の記事『辻子 ー宇賀辻子とその周辺ー』(2013.6.28)は、辻子の位置をめぐって訂正と補足の必要が出てきました。

 以前の記事を作製するにあたって、手持ちの地誌から参考にした記述は次のようなものでした。
 『京羽二重』「◯宇賀辻子 ひがしのとういん通七條のみなみ」
 『都すヾめ案内者』「▲うかノ辻子 ひがしのとう院七でうのみなみ」
 『京町鑑』「▲烏丸 ▲御領町 ▲茶木町 ▲宇賀辻子 以上東九條の分也」
 『都名所圖会』「宇賀社は九條の東にあり、祭所宇賀神なり。此所の東西の徑を宇賀辻子といふ。」
 しかし、そのいずれも辻子が所在する位置を具体的に記していません。
 
 そこで、これらの記述を総合して考えてみると、宇賀辻子の位置は、「東洞院通七條の南方」(つまり竹田街道)の「東九條」辺りで、辻子は「東西の道」ということになります。
 辻子名称由来の通例からすると、宇賀辻子は宇賀神社に通じる道・傍を通る道ということになります。

 それでは、竹田街道から宇賀神社に至る「東西の道」とは、具体的にどこを指しているのでしょうか。
 ところが、この一帯では現・札辻通の他に「東西の道」は見当たりません。また、現在の札辻通の様子からは、「辻子」をイメージすることができませんでした。これが盲点となっていたのです。

はじめに宇賀辻子と考えていたところ

Photo_20190710150501

 なので、当初の記事では宇賀辻子の位置を、「宇賀神社(東九条東札辻町)東側を北東に延びる小路で、東九条宇賀辺町・東九条南松ノ木町・東九条東札辻町を通貫している。」としたのです。
 つまり、東西に通る道が見当たらないことから、やむを得ず苦し紛れに「社頭から東北方向に斜行する道」を辻子としたのでした。
 とは言うものの、『都名所圖会』の「東西の徑を宇賀辻子といふ」なる記述には、無視しかねる思いが残りました。

 ところが最近、当時の記事に対して、先頃まで宇賀神社の氏子総代を努められた方からコメントをいただきました。 
 その方と何度か遣り取りする中で、かつての宇賀神社周辺の環境や状況について、いろいろご教示をいただくことができたのです。
 その結果、宇賀辻子の位置を次のように改めることにしました。
 「宇賀神社社頭から南に出たところ、現・札辻通を西へ竹田街道までの間をいう。辻子は、東九条東札辻町と東九条中札辻町を通貫している。」


新に宇賀辻子跡と考えたところ
 いまの札辻通北側歩道部分で、竹田街道(信号と横断歩道が見える)まで

Photo_20190710151401


 ちなみに、宇賀神社元総代からいただいた情報は、凡そ次のようなものでした。
① この地の旧家(長谷川邸・「歴史・文化・交流の家」)の昔の当主が画家で、100年程前に描かれた風景画が残されている。
 その絵は今の札辻通から神社を望んだもので、畠の中にある鳥居・本殿・社の森などの神域と用水路などが描かれている。
② 往時の宇賀神社周辺一帯には畠が広がっていた。
 当初に、宇賀辻子としていた神社社頭から北東へと延びる道は、古老の話によれば、いわゆる農道(畦道)に近いような道で、傍らには農業用水路が流れていた。古地図によるとこの農道は北東へ高瀬川まで通じていたようで、後になってから現在の九条跨線橋すぐ際の東山橋まで通じる道となった。
③ その農道と用水路は、神社社頭を経て20m余り南(現・札辻通)に出たところから、西方の竹田街道へと続いていた。そして、この部分が昭和11年に拡張されて札辻通となった。
 当時の農道は現・札辻通の北側歩道部分に相当し、現・車道部分には農業用水路が東から西へ流れていて南側の家々専用の石橋が架かっていた。
④ 社頭の南の現・札辻通へ出た所から西方へ約130m、竹田街道までの農道が参道となっていたようで、竹田街道札辻交差点の北東角には今も石碑「宇賀神社参道」が建っている。

石碑「宇賀神社参道」(宇賀辻子跡とされる)

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 なお、石碑脇には宇賀神社敬神会により建てられた駒札があり、「ここから東へ約100mの宇賀神社までが山城名勝誌などに記された宇賀の辻子跡です」とあって、敬神会ではこれを宇賀辻子と比定している。



2019年7月12日 (金)

看板いろいろ その28

京都古梅園
  中京区寺町通二条上ル要法寺前町
  製墨販売
  天正5年(1577)奈良で創業の日本最古の製墨業

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月 餅 (本家月餅家直正)
  中京区木屋町通三條上ル上大阪町
  和菓子(焼き菓子「月餅(つきもち)」)
  文化元年(1804)創業とか

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看板  清水末商店  2点
  中京区寺町通二条下ル
  木彫り看板製造

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2019年7月 5日 (金)

鏡 石

鏡 石

 金閣寺から鷹峯千束に通じる通称鏡石道の途中、北区衣笠鏡石町の道際にある岩です。かつて、傍に立つと鏡のように映ったことから鏡石と呼ばれ、これが町名の由来と云う。
 すぐ近くには、一條・五條天皇火葬塚がある。

 『都名所圖會』は、鏡石について次のように記しています。
 「鏡石は金閣寺の北、紙屋川のうへにあり、石面水晶のごとく影を映すをもって名とせり。
  古今物名 うば玉の我黒髪やかはるらん鏡と影にふれる白雪 貫之」

Photo_101
 上記挿絵中の説明文は次のようになっています。(図にカーソルを置いてクリックすると拡大します)
 「鏡石は物の影よくうつりてあきらかなる怪石なり。むかし唐土に仙人鏡といふ石あり。形廣大にして石面皎々たり。よく人の五臓をうつす。疾あるときは則其形をあらわすとぞ。これらのたぐひとやいふべき。」とあって、鏡石に婦人が自分の姿を映している様子を描いている。

 この鏡石、永年にわたり風雨に晒されたことで、現在では次の写真のように全く鏡のようではなくなっています。

Photo_102
 また、『菟芸泥赴』は次のように書いています。
 「鏡岩 平野より十町ばかり北の邊の左の山際に有  石の横二間ばかり  高さ山につヾきたる所にて九尺計  裾は五尺計也  石の色くもれる鏡の面の如く平にしてむかへば影をうつす  其故の名也」


 ちなみに、鏡石はこの他にもあって、筆者は以前にこのブログで記事にした西京区の大原野にもありました。
 花の寺として知られる勝持寺の境内、「瀬和井の泉」の畔にありました。
 特にどうと言うこともない岩でしたが、写真はその説明書きです。

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