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2019年9月27日 (金)

八 坂

 京都盆地東部の東山連峰、その北端にある比叡山(848m)から南端の稲荷山(233m)まで、約12Kmにわたって連なる峰々は「東山三十六峰」と称されてきた。
 この東山連峰は概ね北高南低となっていて、ほぼ中央にある清水山(242m)から南には、南端の稲荷山を除いて200mを越える峰は見られない。

東山連峰稜線の一部(阿弥陀が峰から稲荷山にかけて)

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 なだらかな起伏を見せる稜線は、服部嵐雪が「蒲団着て寝たるすがたやひがし山」と詠んだように、その優美な眺めは京都の景観美をなす要素の一つです。
[註:服部嵐雪は江戸時代前期の俳人で松尾芭蕉に俳句を学び、宝井其角・向井去来・森川許六などとともに蕉門十哲の一人とされる。]
 
 「八坂」は、古には京都盆地の東北部にあたる山城国愛宕郡(おたぎぐん)を構成した13郷の一つ八坂郷(也佐賀)で、平安京造都以前からあった地名と見られる。
 ちなみに13郷とは、蓼倉・栗野(栗栖野)・粟田(上・下)・大野・小野・錦織・八坂・鳥戸・愛宕・賀茂・出雲の各郷を言う。

八坂神社
 祇園社・祇園感神院などと呼ばれていたが、明治になって神仏分離に伴い現社名となった。

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 古代のこの一帯には高句麗系の渡来氏族とみられる八坂氏が居住したが、氏族名は地名を名乗ったもののようで、奈良時代の正倉院文書『山背國愛宕郡計帳』に「八坂馬養造」、平安時代初期の『新撰姓氏録』には「八坂造」と、その名が見られると云う。

 「八坂」の地名由来は、東山三十六峰が西方に向かって緩やかに傾斜する、坂の多い地形であることに因むようです。
 「ヤは数多いことをいう接頭語、サカは傾斜地である」(『地名が語る京都の歴史』)として、「ヤ」は数や量の「八」ではなく、「多い」「おびただしい」と云った意味であり、多くの坂のある土地を意味したとする説がある。
 また、「八坂はヤ+サカ(坂)で、ヤは弥栄(いやさか)などという場合のヤにあたり、坂にかかるいわばほめ言葉で、坂が立派なのでただ坂といわないで、ヤサカと称したものであろう。」(『京都の地名検証』)とする説もみられる。

 ところで、《八坂》地域の範囲は、参照した地誌によってその表現には違いがあるものの、いずれの書も同一の地域を指しています。
『山州名跡志』は、「其ノ方領凡ソ祇園ヨリ三年坂ニ至ル歟」
『山城名跡巡行志』は、「清水ヨリ祇園ノ邊二至ル郷名也 今法觀寺境内ヲ八坂町ト云フ」
『都名所圖会』は、「北は眞葛原南は清水坂までの惣名なり」
『京都坊目誌』は、「祇園以南清水坂以北の汎稱なり本町元法觀寺の境内なり。」

長楽寺坂

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法観寺坂から見る五重塔

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三年坂(産寧坂とも)

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 そして、《八坂》名称の由来については、上記の地誌のうち『京都坊目誌』を除いては、挙げている坂の名称は一致しています。それは、祇園坂・長楽寺坂・下河原坂・法観寺坂・霊山坂・三年坂・山井坂・清水坂の八つの坂としています。
 しかし、目を引くのは『京都坊目誌』で、「後世此地に八坂 所謂祇園坂。長樂寺坂。法觀寺坂。靈山坂。産寧坂。清水坂。山井坂。下河原坂。是ナリ あるを以て地名と爲れりと傳ふるは淺薄の甚だしきものなり。」と書いているのです。つまり、祇園坂など八つの坂のあることが八坂の地名由来だなどと言うのは、浅く薄っぺらな知識・考えであって従えないとしているのです。


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