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2019年11月22日 (金)

地名の発生を考える

 ことさら言うまでもなく、「地名」というのは文字通り土地につけられた名前(固有名詞)です。
 そして「地名」が発生したのは、「ことば(言語)」の発生とほぼ同時だっただろうと思われます。

 それでは、地名はどのようにして生じたのでしょうか。
 「あそこ」と言うだけではどこを指しているのかは判りません。その場所にふさわしい《記号》を付けておかなければ用を足すことができません。

 そうしたことを、柳田国男は『地名の研究』で次のように言っています。
 「地名とはそもそも何であるかというと、要するに二人以上の人の間に共同に使用せらるる符号である。」

 したがって、生活上なんらかの必要があって、その土地に付けられた《記号》が「地名」なのです。 言い方を変えると、仲間同士でコミュニケーションを図り、情報を共有するために付けられた《記号》が「地名」なのです。その意味では、地名というのは人々の生活に根ざした、きわめて実用的な《記号》だと言えます。

 「人間社会がある所には地名がある」あるいは「地名は社会生活と同時に発生した」といわれる所以なのでしょう。

 話を戻しますが冒頭に書いたように、「地名」は「ことば(言語)」の発生とほぼ同時だっただろうと思われます。
 元来、日本は固有の文字を持たない無字社会でしたから、中国から文字(漢字)が移入されるまでの長い間、日本語は言葉を口づてで伝える原始的な口承伝承でした。

 古代史を研究するうえで貴重とされる歴史書の一つに、大同2年(807)に成った斎部弘成の『古語拾遺』というのがあります。
 その序では「上代之世  未有文字 貴賤老少 口口相傳」(上代の世は  未だ文字を有せず 貴賤老少ともに 口頭で受け継ぎ伝えた)としています。

 日本に漢字が伝わったのは、確かなことは判りませんが『論語』の伝来した3世紀の終りの頃のことではないかとされています。
 また、3世紀末に編纂された中国の史書『魏志倭人伝』に見られるように、倭国(日本)と魏国(中国)の間には外交使節の往来がありました。そこではやはり、漢字による外交文書を遣り取りしていました。

 中国から日本に漢字がもたらされた最初の頃は、漢字を訓読みしたり、漢字の音を借りることで日本語を記したようです。
 使用方法は、その漢字が持つ意味(表意性)を無視して、音(表音性)を利用することにより一字で一音を表わしました。つまり、「万葉仮名」的な用字法で、記録したり伝達することが可能となったのです。 
 こうして、日本語を音で伝える口承伝承から、漢字を使って伝える書承伝承が可能になったことは画期的な進歩だったといえます。

 ところで、柳田國男は前掲書で次のようにも記しています。
 「元来字(あざ)や小字の名は久しい間人の口から耳に伝えられていたもので、適当な文字はなかったのである。しかるに地図ができて文字を書き入れなければならぬようになって村の和尚などと相談してこれをきめた。その文字は十中の八九までは当字である。しかも大小種々な知恵分別をもって地名に漢字を当てたのは近世の事業であって、久しい間まずは平仮名で通っていたものである。」


 さて、どのようにしてその土地を特徴付ける地名が名付けられたのか、諸本を参考にしながら気軽に考えてみました。
 地名研究の世界では、地名を大きくは「自然地名」と「人文地名(文化地名とも)」に大別しているようです。
 地名はというのは、まずその立地の自然を描き出すことで名付けられることが多かったようです。(自然地名)
 これに対しやがて、人間の営為によって形成された歴史的・社会的・文化的な地域要因を地名として命名します。(人文地名)
 人文地名はさらに、行政地名・交通地名・経済地名・歴史地名・宗教地名・人名地名などに区分され、それがさらに細分化されるようです。
 なお、京都では歴史地名・宗教地名・人名地名が圧倒的に多く見られ、自然地名はほとんど見られません。


 最後に、命名された地名の来由の幾つかを例示してみます。
 人々にとって危険な場所は仲間同士で注意を喚起するために、その土地の地形や特徴を地名にしたでしょう。
 例えば、大雨が降ったり地滑りを起こすと、崖(ホキ・ホケ)が崩壊する土地はボケ谷・大歩危・小歩危などと名付ける。

JR大歩危
 JR四国、土讃線「大歩危駅」のホーム表示

Gif
 また、洪水になれば川水が氾濫して水の引きにくい低地には泓・沮沢・湛など付ける。
片 泓
 長岡京市の「片泓」交差点表示

Photo_20191117160601
 農耕地名(産業地名)で多いのが、水田や畑地につけられた「○○田」「○○畑・畠」など。また、ある植物が多く生える場所にはその植物を地名にする、例えば芹生・芦生・栃生などと言ったようにです。

 交通地名の例として、二本の道が出会いそして分かれるところには「追分」「別れ(分れ・岐れ)」、また、二つの川が合流するところには「落合」、峠への登り口や下り口では旅の履物を供えて旅の安全を祈願するところとして「沓掛」というように名付けました。

追 分
 「みぎハ京ミチ ひだりハふしミミち」、側面には「柳緑花紅」と刻まれている。
 東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点に立っている道標。 

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五条別れ
 「左ハ五条橋  ひがしにし六条 大佛  今くまのきよみず道」「右ハ三条通」と刻まれている。
 東海道と伏見街道の分岐点に立つ。

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沓 掛
 国道9号線の沓掛交差点に。

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