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2020年2月

2020年2月28日 (金)

下鴨そして下鴨半木町と半木神社

 下鴨は、賀茂川と高野川の合流点から、北方の松ヶ崎・上賀茂にかけての一帯で、両川の扇状地の間に形成された三角地帯に位置します。
 ちなみに、下鴨の西側部分、つまり下鴨本通の西側の地域に仁丹町名表示板が僅かながらが残存しています。

 この下鴨は、大正7年(1918)に京都の第一次町村合併で、朱雀野村など16町村とともに京都市に編入されました。
 元来、賀茂川左岸(東岸)の東側一帯は賀茂川の旧河道でした。普段は水が少ないものの、激しい雨が降ったときには堤防が決壊して水が溢れることの多い土地だったようです。
 この賀茂川東側の地は、大正10年(1921)に制定された「住宅組合法」に基づいて開発されました。
 1910年代以降の人口増加により、下鴨にも「新中間層」の居住地として京都市内から多くの人々が移住しました。住人の特徴としては学者と画家が多かったようで、「下鴨文化村」の通称が広く知られたそうです。

 下鴨本通の東側が賀茂川・高野川の両扇状地の境界にあたり、かつては低湿地であったようでその東側を流れる泉川は、下鴨神社や河合社の境内地である糾森(ただすのもり)を経て高野川に合流しています。

下鴨宮崎町の仁丹
 この下鴨宮崎町には、大正12年(1923)から昭和27年(1952)まで、松竹京都撮影所がありました。しかし、失火によって焼失したため、太秦南堀ヶ内町に移転しました。

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下鴨松ノ木町の仁丹
 高野川は、大正8年(1919)に私人の寄附により河川改修が行なわれ、河川敷だった右岸(西岸)沿いの土地が、住宅地として分譲されたということです。

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 ところで賀茂川の左岸、北大路通の北に京都府立植物園があります。ここは、大正13(1924)年に日本で最初の公立植物園として開園しています。
 この一帯には下鴨半木町・下鴨東半木町・下鴨西半木町という町があります。そして、「半木町」の行政上の読みは「はんぎちょう」です。
 ところが、賀茂川左岸の堤防の上、春には枝垂れ桜の並木となる遊歩道は「半木の道(なからぎの道)」と称されています。
 一体「半木」はどう読むのか悩ましいところです。植物園の中にある上賀茂神社の境外摂社「半木神社」があります。神社の駒札には、「なからぎじんじゃ」と振り仮名をして、流木神社「ながれきじんじゃ」とも云うとしています。

半木神社

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 『山城名跡巡行志』に、「流木ノ神祠 上賀茂の巽七八町 下鴨より上賀茂に到る中間也 中賀茂と稱す 叉半木ノ社奈良ノ社と云ふ 今上鴨に属す」とあって、流木は「ナガレギ」・半木は「ナカラギ」と仮名を振っています。
 『山州名跡志』には、「流木社 鴨に属す 本殿の巽の方七八町許りに在り」として、振り仮名は「ナガレギ」となっています。
 今では植物園内の「半木神社」と「なからぎの森」がその名残りをとどめています。
 ちなみに、『菟芸泥赴』では、「中賀茂 上賀茂にも八町 下賀茂にも八町へだてゝ其中に有 古より半木(ナカラギ)と云ふ大己貴命を祭る社あり 一説流木(ナガシギ)といふ 非なり」としていて、昔からの言い伝えでは、この地に神木が流れ着いたことから「流木ノ社」と言ったとするが、それは間違いだとしています。

 と言うことで、古くは半木神社=なからぎ神社だったようです。
 したがって、この一帯の町名である下鴨半木町・下鴨東半木町・下鴨西半木町の「半木町(はんぎちょう)」、町名は半木神社=なからぎ神社に由来しているため、その読みは「なからぎちょう」であるべきなのでしょうが・・・。(ウーン  難しいなー❗)


2020年2月21日 (金)

路地(ろーじ) ーそのいろいろー 38

上京区にて

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2020年2月14日 (金)

路地(ろーじ) ーそのいろいろー 37

中京区にて

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2020年2月 7日 (金)

変化する「ことば」と「地名」

 「ことば」は、しばしばその本来の〈音〉や〈字〉が変化してきました。そして「地名」もまた伝承の過程で語音の転訛や、用字の改変を繰り返してきました。

 まず、地名が変化している具体例を『京都坊目誌』から引いてみます。

「小結棚町(こむすびだなちょう)
   新町通の錦小路から四条の間に位置します。

N  
 町名の由来は、小結(こゆい)つまり小結烏帽子を製造する人が製品を棚(店)に陳列販売したことによるとしています。元々の読みは「こゆいだなちょう」だったのです。
 また伝承では、いろんなオモチャを作って店舗でこれを販売し、おんな子どもが店の前に集まってこれを買った、このため俗に呼んで「児居店(こいのたな)」とした。これを「恋の棚(こいのたな)」とも言ったが、これは誤りだとしています。

「西海子町(さいかいしちょう)
   三条通の古川町から東山通西入にかけて位置します。
  (仁丹町名表示板は劣化していますが、なんとか読めます)

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 西海子は皀莢(さいかち)の仮字であり、本町の南に長田塚がありその塚の上に大きな皀莢の木があったことを町名の由来とする。
 西海子町の南隣には南西海子町がある。また、堀川通上長者町上ルにはズバリ皀莢町があり、由来は同じく皀莢の木。


 ところで、国語学の知識には疎い私には音韻変化などよくは判らないのですが、「ことばの変化の仕方」には、驚くほどに様々なパターンがあるようです。 
 変化の類型を例示してみます。

転 音
 二つの語が複合するとき、元の音が別の音に変化する。
 例:あめ(雨)→あまがさ(雨傘)、さけ(酒)→さかだる(酒樽)
転 訛
 語の本来の音がなまって変化する。あるいは発音し易い音に変化する。
 例:やめておく→やめとく、している→してる
転字・当て字
 同じ音である別の字に変化する。
誤写・誤記  
 写し間違いや書き誤りによって変化する。
音読・訓読に変化
 音読から訓読に、あるいは訓読から音読に変化する。
音便変化
 単語の一部の音が、発音しやすいように元の音とは違う音に変わる現象。
 ex. 撥音便(飛びて→飛んで)、促音便(待ちて→待って)、ウ音便(思ひて→思うて)、イ音便(咲きて→咲いて)
二重母音(母音連続)の回避
 語と語が連続して複合語となるときに、母音が連続することを避けた。
 ex. 「あらいそ(荒磯)」→「荒」の「ラ」から母音[a]を消し去って「ありそ」、同様に「春雨(はるあめ)」→「あめ」の前に[s]を挿入して「はるさめ」とすることで母音が連続するのを避けた。
ハ行転呼音
 語中語尾のハ行音が音韻変化する。
 ex. 近江(あふみ→おーみ)、埴生(はにふ→はにゅー)粟生(あわふ→あおー)
佳好二字化
 和銅6年5月、元明天皇の詔に「畿内七道諸国の郡郷の名は好字を用いよ」とあり、『延喜式』民部式には「凡そ諸国の郷里の名は二字とし、必ず嘉名を取れ」とある。お上の命令で地名を嘉名(めでたい名)・好字(よい字)を選んで、二字で表記とするように強制された。
 これは、単に用字の問題にとどまらず、その地名の元々の意味が失われてしまうことになった。

 ちなみに、地名の変化の例としてよく引かれるものに、「白馬」と「六甲」があります。

 日本アルプスの長野・富山両県境に「白馬岳」という山があります。長野県側の山の雪が溶けて、雪の消えた跡が黒い馬の形になる頃が苗代掻きをおこなう目安とされてきた。(農事暦)
 これは、「代掻き馬」→「代馬(しろうま)」→「白馬(しろうま)」→「はくば」と変化したのです。つまり、短縮・転字・訓読・音読と変化して定着したものです。今では村名も「はくばむら」となってしまいました。

 「六甲(ろっこう)」は、古くは「むこ」と呼ばれて、武庫・務古・牟古・六児・無古などの字が当てられていたという。
 「六甲(むこ)」の字で表記されるようになったのは近世になってからのようで、これが、さらに「ろっこう」と音読するようになった。
 このように、言葉だけではなく地名もまたそうした事情・原因で変化するのです。


 ところで、昭和37年に始まった新住居表示制度や、平成の大合併により大掛かりな町村名の変更が行われたため、全国的に伝統や由緒ある地名の多くが消滅してしまいました。幸い京都市の場合は諸般の事情から変更を免れました。
 地名というのは、単にその土地の場所・位置を表す記号にとどまるものではありません。その土地の歴史・地理・環境を表すいわば文化財なのです。ですから、◯町目◯◯番地などという味わいも面白味も無い単なる記号に変えてしまうような愚を犯してはなりません。



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