仲源寺の目病み地藏
このお寺の所在地は、東山区四条通大和大路東入 祇園町南側です。
浄土宗の寺院で山号は寿福山、所伝では平安時代中期の治安2年(1022)に仏師定朝により建立されて、本尊の地藏菩薩も定朝の作とされる。
また、後堀河天皇の安貞2年(1228)8月、鴨川に洪水が起きたとき防鴨河使の勢田為兼にこれを防がせた。それ以後、朝廷の勅願寺となって「仲源寺」の額を賜ったとする。
本尊の地藏菩薩は、俗に「目疾(めやみ)の地藏」とも「雨止みの地藏」とも称される。
『都名所圖会』には、仲源寺と本尊について次のように記している。
「仲源寺は四條大和大路の巽の角にあり、浄土宗にして知恩院に属す。本尊地藏菩薩は土中出現の尊像なり。一説には定朝の作なりとぞ 世の人目疾地藏と稱す。眼病平癒の祈願をすれば霊験あり。実は雨止地藏なり、往来の人驟雨の時此堂に宿りしとなり。(略)」
本尊の「目やみの地藏」というのは、実は「雨やみの地藏」、つまり「あめやみ」が訛って「めやみ」になったのだとしています。
それで、元々の呼称であった「雨やみの地藏」の謂れについては、『京都坊目誌』では次のように記しています。
その昔、仲源寺の一帯には人家が非常に少なかったので、にわか雨に遭った旅人がこの仲源寺の堂宇に雨を避けたことから、「雨やみの地藏」と呼び慣わされるようになったと云う。
ところで、本尊の地蔵尊がなぜ地中から掘り出されたのか。また、なぜ「目病み地藏」と称され、眼病に霊験があるのか。
『京町鑑』は、概ね次のように記しています。
本尊が定朝の作になる霊像であることから、兵乱の火災で焼けるのを避けるために土中に埋めおかれた。そして、平穏な世になってから掘り出したところ、尊像の目に土砂が入っていたため目を病んだように見えた。
このことから「目病みの地藏」と言い習わされて、眼病の平癒を祈ると霊験あらたかなことで広く知られたと云う。
なお、掘り出された場所は、『京童』によると「ちおんゐんのまへなる畠中よりほり出し此所にあんぢしける也」と記し、知恩院の前にある畠だとしています。
« 路地(ろーじ) ーそのいろいろー 43 | トップページ | 町名の「何で?」 (その1) »
「雑記」カテゴリの記事
- ウ メ(2023.03.10)
- 京都の顔 ー鴨川の移り変わりー(2023.02.24)
- 俳人山頭火と京都(2022.12.16)
- 秋 色(2)(2022.10.14)
- 秋 色(1)(2022.09.30)
コメント