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2020年8月21日 (金)

大将軍について

 今回も平安京絡みの記事です。
 京都市北区の南端に「大将軍(たいしょうぐん)」と言う広域地名があって、そこには島津アリーナ(府立体育館)が所在する大将軍西鷹司町など、「大将軍」を冠称する7つの町があります。
 南北に流れる天神川が北区と上京区を分ける境界線となっているのですが、境界の東の上京区側に一条通に面して大将軍八神社があり、地名の「大将軍」はこの神社の名称に由来しています。

 桓武天皇が都を長岡京から山城国に遷して平安京を造営した際、大内裏を鎮護するために京域の四方に大将軍社を祭祀しました。
 ちなみに、「大将軍」というのは、陰陽道で吉凶の方位を司る「八将神(はっしょうじん)」の一つで、その他の7神は大歳神・大陰神・歳刑神・歳破神・歳殺神・黄旙神・豹尾神というそうです。(・・・が、どういう神様なのか難しくてよく判りません)

 それでは、平安京の四方に祀られたという大将軍社を見ていきます。

大将軍神社(東山区長光町)

Photo_20200727140001
 平安京大内裏の東方に祀られた大将軍社。
 平安京の東にあるこの地は、京の出入口の一つである三条口の要地にあたり、邪霊の侵入を防ぐ意味で重要視されてきました。
 境内には樹齢300年と伝わる銀杏の大樹があり、かつては鵺(ぬえ)の森とも呼ばれて、源頼政の鵺退治の伝説を偲ばせる。
 『京都坊目誌』には、「大將軍ノ社 相傳ふ延暦遷都の時、皇城四方に大將軍を祀る、本社その一なりと、故に社號と為すと云ふ。」と記しています。


大将軍八神社(上京区西町)

Photo_20200727140201
 平安京大内裏の西方にあたる地に祀られた大将軍社。
 社伝によると、平安遷都の際に桓武天皇の勅願で大和国春日山から八将神の1柱である大将軍を勧請したとする。
 この大将軍神は、方除けや疫病避けの神として天皇や貴族、一般庶民に至るまで崇敬を集めた。
 八将神というのは先に記したように、吉凶の方位を司る八柱の神のことで、この大将軍八神社では素戔嗚命の五男三女を指すそうな。


大将軍神社(北区西賀茂角社町)
 平安京大内裏の北方に鎮座する大将軍社。他と区別して「西賀茂大将軍神社」とも称した。
 また、角社(すみしゃ)・須美社(すみしゃ)とも言うが、京域北西隅に鎮座することによるらしい。

大将軍社(伏見区深草鳥居崎町)
 平安遷都のときに王城鎮護のため、京域の四方に祀られた諸社のうちの一社で南方に鎮座する。
 古来方除けの神として信仰を集めている。今は藤森神社の摂社となっている。

 ところが❗ そのほかにも大将軍社は、今宮神社・岡崎神社の境内にも祀られているのです。
 そんなことで、平安京の四方に祀った大将軍社というのは、どれなのかよく判らんなーと言う感想を持ちました。
 例えば、『拾芥抄』には、「大将軍堂 上ハ一條ノ北 西大宮ノ西、中ハ高辻ノ北 萬里小路ノ東、下ハ七條ノ北 東洞院ノ西、已上有三箇所」と3カ所の大将軍堂を記しているようです。
 王城鎮護のために京域の四方、つまり4カ所に大将軍堂(大将軍社)を祀ったといわれるのにもかかわらず、『拾芥抄』には3カ所しか記していないのです。これはどうしたことなのでしょう?
 また、「上の大将軍堂」と言うのは大将軍八神社と見ることができます。しかし、「中の大将軍堂」と「下の大将軍堂」は、いったいどこの大将軍社を指しているのでしょうか?
 とにかく、京都市内には複数箇所に「大将軍神社」「大将軍社」を称する所が存在していて、そもそも桓武天皇が京域鎮護のために四方に祀った大将軍社はどれなのか、サッパリ判りませんでした。



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