長い ながぁ〜い町名
小倉百人一首を編んだ藤原定家の山荘「時雨亭旧跡」と言われるところが、右京区の嵯峨に3カ所あります。以前、それらを巡り歩いて記事にしたことがあります。(『時雨亭(しぐれのちん)』2018.5.11)
そのとき、時雨亭跡のひとつとされる厭離庵へも行ったのですが、厭離庵の所在地の町名があまりにも長いことにビックリしました。
厭離庵
その町名は、「嵯峨二尊院門前善光寺山町」で12文字もあるのですが、京都市内では一番長い町名だろうと思います。
二尊院
なお、二尊院そのものが所在している町名は「嵯峨二尊院門前長神町」です。
ちなみに、京都市内で最も短い町名といえば、やはり2文字ということになります。それらは、ほとんどが方角を表す文字の付く町名で、「東町・西町・南町・北町」「乾町・巽町(辰巳町)・艮町」ですが、「坤(ひつじさる)」の付く町名は見当たらないようです。
ところで、地図を見ると改めて気がつくのですが、嵯峨には前記の嵯峨二尊院門前善光寺山町をはじめとして、10文字以上もの長い町名がかなりあります。
その多くは、「嵯峨二尊院門前◯◯◯町」「嵯峨大覚寺門前◯◯◯町」「嵯峨釈迦堂門前◯◯◯町」「嵯峨天竜寺◯◯◯町」「嵯峨観空寺◯◯◯町」といったように、寺院名を冠した町名なのです。
近世(徳川時代)の土地支配は、領主が広大な地域を支配するというのが通例でした。
しかし、この嵯峨の近世以前は、他の地域とは大いに異なっていたようなのです。
洛西の嵯峨の場合は、幕府直轄地や大名の領地というのは殆ど無くて、皇室や宮家、公卿、寺社の領有する土地が多く、全体では9割以上を占めていて、寺社領だけでも4割弱といったような状況だったようです。
皇室や宮家と所縁の深い寺院が多かったからなのでしょう。
大きな寺院の門前には、参詣客のための旅籠屋やそれを目当てにする商人が集まって門前町が形成されました。
そうした名残りもあってか、今では名刹・古刹と云われる大寺院の名称を冠した長ったらしい町名が残っているのでしょうか。
ついでに、10文字を越える町名を挙げておきましょう。
12文字…嵯峨二尊院門前善光寺山町
11文字……嵯峨釈迦堂門前瀬戸川町・嵯峨釈迦堂門前南中院町・嵯峨大覚寺門前堂ノ前町・嵯峨大覚寺門前宮ノ下町・嵯峨二尊院門前往生院町・嵯峨二尊院門前北中院町
10文字……嵯峨釈迦堂門前裏柳町・嵯峨大覚寺門前井頭町・嵯峨大覚寺門前登リ町・嵯峨大覚寺門前八軒町・嵯峨大覚寺門前六道町・嵯峨天龍寺芒ノ馬場町・嵯峨二尊院門前長神町
といったところです。
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