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2021年1月29日 (金)

弁慶石のこと

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 武蔵坊弁慶は幼少の頃、鬼若と命名されて三条京極界隈で過ごしたといわれる。そして、弁慶石は子供の頃の弁慶が心の底から愛でたと伝えられる石です。
 長じて比叡山の僧時代には修行をせず乱暴が過ぎたため追い出される。
 武術を好んだ弁慶は、京の都で千本の刀を奪うという大願を立て999本を得ます。残りの一本となったとき五条大橋で源義経に出会いますが、身軽で欄干を飛び交う義経の身軽さに勝てず、降参して義経の家来となるという話は有名です。
 これは、次のような童謡・文部省唱歌『牛若丸』の歌詞で私たちのよく知るところです。

🎵   京の五条の橋の上
  大の男の弁慶は
  長い薙刀振り上げて
  牛若めがけて斬りかかる

  牛若丸は飛びのいて
  持った扇を投げつけて
  来い来い来いと欄干の
  上へあがって手を叩く

  前や後ろや右左
  ここと思えばまたあちら
  燕のような早技に
  鬼の弁慶謝った

 義経・弁慶の主従は曲折を経てのち、奥州平泉の衣川の戦いでともに最期を遂げますが、弁慶の死後に弁慶石は京の都から高舘へ移されました。
 しかし、石が「三条京極に戻りたい」と大きな声を出し揺れ動いて、そのあと高舘で熱病が蔓延したので人々はこれは弁慶の祟りだと恐れて、享徳3年に三条京極に送り返しました。それ以来、この地を弁慶石町と称するようになったと云います。
 その後、弁慶石は誓願寺方丈の庭に移されたが、明治26年(1893)には弁慶石町の民家に引き取られ、昭和4年7月12日に三条通り沿いのこの場所(三条通麩屋町東入)に移されました。

 「この石をなでると、弁慶のように男の子は力持ちになる」と言い伝えられています。
 なお、弁慶石の生い立ちについては他にも、「弁慶が比叡山から投げた石」「衣川の合戦で立ち往生した弁慶がこの石になった」「鞍馬口にあった石が洪水で流れ着いた」などなど様々な説があるようです。



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