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2021年5月

2021年5月28日 (金)

えーッ! この町名はなに?

 町名には、その多くにそれぞれ来歴・謂れといったものがあるのが普通です。
 例えば、故事や伝承に由来するもの、職種や職業に由来するもの、寺社(神仏信仰)に因むもの、交通や交易(関所・市)に因むものなどなど。類型あるいは様式があまりにも多岐に渡るため、簡単には仕分け切れないほどの種類の町名があります。もちろん、今となっては来由が不明となってしまったものもありますが。
 そして町名やその由来から受ける、味わいや情趣といったものがあります。

 ところが、中にはそうしたものが全く感じられない、素っ気なく無愛想な町名もあります。
 もっとも、町名というものが、単にある地点・ある地域を表す記号に過ぎないものだとするなら、そうした素っ気ない命名の町名ほど簡単明瞭なものはないだろうと思われます。

 例えば、南北の「通り名」と東西の「通り名」を組み合わせただけの町名が、いわゆる旧市内のそれも中心部の地域に集中して存在します。
 そのような町名は、東は室町通りと西は大宮通の間、北は二条通と南が高辻通の間に多く見られます。

「五坊大宮町」の町名表示板
 「五坊」は「五条坊門小路」の省略形で、現在の仏光寺通に相当します。
 平安時代の街路名の名残ですね。

Photo_20210513152401
 例えば、大宮通にそうした町名を見てみると、御池通から松原通までの間は軒並みことごとく、こうした町名が続いています。
 三坊大宮町・姉大宮町東側・姉大宮町西側・三条大宮町・六角大宮町・四坊大宮町・錦大宮町・四条大宮町・綾大宮町・五坊大宮町・高辻大宮町といった具合です。
 いずれも、それらの町名は「南北の通り」と「東西の通り」が交差する地点の呼称を、町名としているのです。
 もっとも、そんな安直な命名ともいえるような町名であっても、それがどこにある町なのか、位置がは極めて容易に判明するという便利さ・良さはあります。

 ところがそんな、通り名と通り名を組み合わせた町名も、そのままでは長くなってしまう場合には、一部を省略することで短くしています。
 省略の仕方は、先にあげた例で言えば大宮通りと交差している東西の通りの名称を省略しています。例えば、三条坊門大宮町が三坊大宮町に、姉小路大宮町が姉大宮町に、錦小路大宮町が錦大宮町に、綾小路大宮町が綾大宮町に、といったようにです。
 なお、これらの町名で三坊・四坊・五坊というのは、平安期の通り名である三条坊門小路・四条坊門小路・五条坊門小路が略称されたもので、現在の通り名で言えば御池通・蛸薬師通・仏光寺通に相当します。




2021年5月21日 (金)

路地(ろーじ) ーそのいろいろー 56

東山区の路地

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2021年5月14日 (金)

御土居

 御土居というのは豊臣秀吉が京都の周囲に築いた惣構(そうがまえ)です。惣構というのは城郭と城下の周囲を堀や土塁で囲いこんこんだ防御施設です。
 その規模は周囲が、東は賀茂川の西岸、北は鷹峯、西は紙屋川、南が九条というもので総延長が約23Kmで、京都の市街地をすっかり囲んでしまう大堤になります。堀の幅は広い所で18m、土塁は高い所で6m、その幅は広い所で20mに及ぶというものでした。
 この御土居築造の目的は、鴨川の洪水から京都を守る治ための治水(築堤)と、外敵への防御のためという2つの説があるようです。しかし、構造から見ると防災のための施設としての意味合いの方が強いように思われます。
 そして、土塁の内側を洛中、外側を洛外と称するようになったのはこの時に始まるようです。

御土居の遺構(北区鷹峯旧土居町)
  御土居の頂部

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 安土桃山時代の公卿で関白左大臣の近衞信尹(このえのぶただ)という人が御土居について、日記『古今聴観』(後に『三藐院記(さんみゃくいんき)』として知られる)に次のように記録しているそうです。
 「天正十九年壬正月ヨリ、洛外ニホリヲホラセラル、竹ヲウヘラルル事モ一時也、二月ニ過半成就ナリ、十ノ口アルト也、此事何タル興行ソト云二、悪徒出走ノ時ハヤ鐘ヲツカセ、ソレヲ相図二十門ヲタテテ、其内ヲ被捲為ト也」

 築造を始めたのが天正19年(1591)の正月、堀を掘って護岸のため竹を植え、10カ所の出入口を設けるという壮大な大土木工事の大方を、僅か2ヶ月程で完成したというのです。猛烈な突貫工事をやったのですね。
 悪党や反逆者が出たときには早鐘を打たせ、それを合図に10の門を閉じてそれに備えるためだというのです。
 御土居に設けた10カ所の出入口というのは、所謂「京の七口」で大原口・鞍馬口・長坂口・粟田口など、洛外との出入口を指しているようです。
 ちなみに、「京の七口」は早くに鎌倉時代の末頃から設けられていたらしいのですが、その数は時代によってまちまちであって、実際には七つを越えていたようですから、多くある出入口の「総称」と言ったようなものだったようです。




2021年5月 7日 (金)

看板いろいろ その40

いづみ屋
  東山区新道通団栗下ル
  山椒ちりめん

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宇佐美松鶴堂
  下京区西中筋通(堀川通)花屋町下る堺町
  表装

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平安法衣店
  下京区東本願寺大門前
  法衣・仏具

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お久村
 さてこの貸衣装屋さん現存しているのかな?

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