祇園祭のこと 1
祇園祭は八坂神社(祇園社)の祭礼で、平安時代の御霊会が起源とされる。
祇園祭は7月1日の切符入りに始まって、31日の八坂神社摂社疫神社の夏越祭まで、1ヶ月もの長い期間にわたって多くの祭事が行われます。
そのハイライトはやはり、17日(前祭)と24日(後祭)の山鉾巡行と宵山であり、大勢の人々が訪れて京のまちは祭りの熱気に包まれます。
函谷鉾
また山鉾巡行の他にも、なかなかの見ものがあります。17日前祭の夕刻から始まる神幸祭は、祇園石段下で3基の御神輿(中御座・東御座・西御座)を頭上高く差し上げる勇壮な差し回しのあと、四条寺町の御旅所へ渡御され、24日の後祭山鉾巡行のあとの還幸祭では、御旅所から八坂神社まで神輿がもどられるのです。
ところが、現在のところ全く治まる気配のないコロナ禍のため、昨年に続いて今年の山鉾巡行も中止されることが決まっています。
けれども、こうした時勢にあって、巡行は中止となっても「縄がらみ」といわれる鉾建ての技術継承や懸装品保全のためには建てるべきとする保存会と、巡行を行わない以上は立てる理由がないとする保存会とで意見が割れたようです。
結果は、前祭と後祭合わせて33基ある山鉾のうち、半数余りに当たる18基の山鉾が立てられるようです。
ちなみに、一昨年(2019年)の祇園祭で巡行した山鉾は、前祭(さきまつり)が23基、後祭(あとまつり)には10基の計33基でした。
なお、文政9(1826)年の巡行で大雨にあい、懸装品を汚損したことから翌年から参加しなくなり、休山となっていた鷹山が約200年振りに復元されて、明2022年から後祭の巡航に参加することになるようです。この鷹山も応仁の乱以前から巡行していた曳山で、「くじ取らず」の山だったそうです。
月 鉾
今年も2年続きで山鉾の巡行は中止となったのですが、先ごろ7月2日に山鉾の巡行でその順番を決める「くじ取り式」が京都市役所の市議会議場で行われました。
古来「くじ取らず」と呼んで、くじを引かずに巡行の順番が決まっている山鉾があります。
この「くじ取らず」の山鉾は、前祭では先頭の長刀鉾・5番目の函谷鉾・21番目の放下鉾・22番目の岩戸山・しんがりの23番目が船鉾。後祭では1番目の橋弁慶山・2番目の北観音山・6番目の南観音山・しんがり10番目大船鉾です。
現在では「くじ取り式」と言われている「鬮改め(くじあらため)」は、定められたのが応仁の乱以後に初めて復興した時、明応9年(1500)のことでだそうです。
『祇園会山鉾次第以鬮定之』(『祇園会山鉾事』)によると、行列の順序をめぐって町人の間で論争が起こったため、幕府役人松田頼亮の屋敷で鬮取りを行って巡行の順番を決めたのが初めとされる。
平安時代以来の来歴をもつとされる長刀鉾が、巡行の先頭を進むのは応仁の乱以前からの慣行とされていて、現在も変わらずに引き継がれています。
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回を改めて近いうちに、祇園祭の起源や山鉾の来歴といったものを取り上げてみたいと思っています。
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