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2021年9月

2021年9月24日 (金)

時 雨(しぐれ)

 あれ程に煩いくらいだった「蝉時雨」が、涼しげな「虫時雨」に変わって間もない今、「本物の時雨」の季節にはまだ早いのですが・・・。
 時雨は秋の終わりから春先の頃、北西季節風の吹くときに降ったりやんだりする雨のことを言います。
 時雨は、本州の日本海側や九州の西岸、京都盆地の北部近くの山間部では、1〜2時間おきに雨が降ったいやんだりを繰り返します。テレビの天気予報で気象衛星の雲画像を見ていると、黄海や東シナ海から日本海にかけて、多くの筋状の雲が写っていることがあります。この団塊状の雲が日本の上空を通過するたびに、降ったりやんだりを繰り返すのが時雨です。
 ちなみに、山陰や北陸など日本海側の地方には、晩秋から春先にかけての時期は「弁当忘れても傘忘れるな」という諺があります。
 時雨の語源は、「過ぐる」「しばしば暮れる」「しくれ=シは風の古語、クレは狂いで、風の乱れるのに伴って忽然と降る雨」など諸説あるようですが、いずれも通り過ぎる雨・通り雨の意味です。

 「しぐれ」から受けるしみじみとした味わいは、古くから和歌や俳句に詠まれてきました。
 私も、風情や味わいを感じるこの「しぐれ」という言葉が好きです。
 ところで、時雨は晩秋から春先の頃に降る通り雨のことなのですが、なぜか俳句の世界では晩秋から初冬の頃の季語とされています。

 自由律の俳人で放浪の俳人とも称された種田山頭火には、時雨を詠んだ多くの句があります。

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 私が特に好きなのは、『其中日記』(昭和7年10月21日の条)にある「おとはしぐれか」です。山頭火が厠でしゃがんでいる時、草屋根を滴る時雨の音に季節の移り変わりを感じ取っている、よく知られた句です。
 京都にもこの句碑があり、北区の鷹ケ峯から長坂越えで R162 に出る手前の地蔵院境内(杉坂道風町102)に建てられています。
 そして、山頭火の代表句の一つである、「うしろすがたのしぐれてゆくか」も好きな句です。

 一方、和歌の世界でも一雨ごとに荒涼とした冬の近づく様子、無常の思いを感じさせる「しぐれ」はよく詠われています。
 神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける 『後撰和歌集』
 「降りみ降らずみ」の「み」は交互に繰り返される意の接尾語で、ここでは「降ったりやんだり」を意味しています。

 ところで、『逆引き広辞苑』で「時雨」のつく言葉をあたってみると次のように24個もありました。もっとも印を付したのは偽物の時雨で、虫の音・木の葉の落ちる音など、いろんなものが時雨に見立てられています。
 時雨、夕時雨、秋時雨、横時雨、笠時雨、*さんさ時雨、*虫時雨、片時雨、北時雨、初時雨、*袖時雨、一時雨、*袖の時雨、*空の時雨、偽りの時雨、*木の葉時雨、北山時雨、*黄身時雨、*蝉時雨、露時雨、小夜時雨、叢時雨、*霧時雨、春時雨
 日本語はなんと奥深いのでしょうね。



2021年9月17日 (金)

茅葺き屋根

茅葺き屋根の農家

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 この茅葺き屋根の農家、周辺の自然景観にすっかり同化しています。
ここは、京都府南丹市美山町北地区です。40戸ほどの茅葺き農家がある集落で、現存する茅葺き民家は入母屋造りで、千木・破風等の構造美に優れる、いわゆる「北山型」という独自の構成をもつ山村の民家としての特質を有しているということです。
 四半世紀ほど前の平成5年(1993)、この北地区は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているのですが、まさに「日本の原風景」を残すところとして、多くの人々が訪れるほどに有名な「観光地」になっています。

 農家も今では人手や資材の関係で、瓦葺き屋根に葺き替える家も多いのですが、昔の農家といえば茅葺き屋根が普通でした。茅に比べて材料としては手に入り易い稲や麦などの藁葺き屋根もあるにはあるのですが、耐久性という点では劣るので多くはありませんでした。
 その点、茅葺き屋根は耐久性に優れていて30年くらいは十分もつようです。そして、なによりも夏は涼しくて冬暖かいのため日本の気候に適した屋根と言えます。
 私が子供のころ毎年、学校が夏休みになると田舎の親戚の農家に一週間ほど遊びに行っていました。
 その当時は、まだ母屋・隠居だけでなく、牛馬小屋・堆肥小屋・風呂や便所なども茅葺き屋根だったのを思い出します。


 ところで、当然のことながら茅葺き屋根も老朽化すれば葺き替え普請が必要となります。
 日本のムラ共同体では昔から、生活の必要上から慣行として互助あるいは相互扶助が行われてきました。地方によりその名称や内容に多少の違いはあるようですが、おおよそは次のようなものだと思われます。
 道路や用水などの土木工事、家屋建築や屋根葺き替え、婚礼の手伝い、葬儀の手伝い、火災・自然災害の際の援助や見舞いなどでは、各家から労役奉仕の人手を出して行っていた。
 屋根の葺き替えにあたっても、ムラの共有財産である茅場で育てた茅の刈り取り・古くなった茅降ろし・茅の運搬・葺き上げなど、多大な労力と資材を必要としました。このため、ムラ単位で頼母子のかたちで助け合い、茅が老朽化した家から毎年順番に屋根の葺き替えをしていました。
 葺き替えは茅葺き屋根専門の職人さんが中心となって作業をするのですが、相互扶助でムラの各戸から人を出して屋根の葺き替えが行なわれてきました。

 しかし、美山町北の場合もご多分にもれず、少子高齢化が進み後継者不足が深刻化したため、自治体から補助金が支給されるようになってからは、専門業者に任せるようになったということです。
 今では美山茅葺株式会社が設立され、全国での茅葺き屋根の施工請負とともに、茅葺屋根職人の育成も行っているということです。



2021年9月10日 (金)

手習い歌

 仮名文字を書く練習のために、手本とする和歌などの歌のことを「手習い歌」といいます。

 最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の「仮名序」(延喜5年)には、仮名を習う人(こども)が最初に手本とした歌として、次の和歌二首を挙げているそうです。

 その一つ「難波津」の歌は、渡来人の王仁が仁徳天皇に奉ったと云う。
 なにはづに さくやこのはな ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな(難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花)
 もう一つ「安積山」は、葛城王(橘諸兄)が東国へ視察に行った時、その地にいた采女が、 諸兄に献上した歌と云う。
 あさかやま かげさへみゆる やまのゐの あさきこころを わがおもはなくに(安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに)

 いまの私達は、全部で47字の仮名文字を重複しないように一度だけ使って、整った文章のかたちにした歌「いろは歌(伊呂波歌)」、この47字の仮名文字に入っていない「ん」、または「京」の字を加えた48文字を文字習得の手本としていました。
 「色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず ん」
これは弘法大師の作と云われていたのですが、今ではその死後の平安時代後期に作られたとみられているようです。

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 ところで、こように仮名文字を重複しないように使って作られた手習い歌で、「いろは歌」に先立つものとして、平安初期の「天地の詞(あめつちのことば)」「大爲爾の歌(たゐにのうた)」というのがあるそうです。

 「天地の詞」は、ア行の「え」とヤ行の「江」(注:この「江」正しくは変体仮名です)の区別を残していて平安初期の音節数を示している。この歌は身近にある言葉・単語を選んでいるため、自然と向き合って生活していた大昔の人々の考え方や自然観が見えるように感じられます。
 「あめ(天)つち(地)ほし(星)そら(空)やま(山)かは(川)みね(峰)たに(谷)くも(雲)きり(霧)むろ(室)こけ(苔)ひと(人)いぬ(犬)うへ(上)すゑ(末)ゆわ(硫黄)さる(猿)おふせよ(生ふせよ)えの江を(榎の枝を)なれゐて(馴れ居て)」

 「大爲爾の歌」は、源為憲の『口遊(くちずさみ)』(天禄元年)に、「謂之借名文字」(これを借名〈かな〉文字と謂ふ)と但し書きを付して記しているそうです。
 「大爲爾伊天(田居に出で)奈徒武和礼遠曽(菜摘む我をぞ)支美女須土(君召すと)安佐利於比由久(求り追ひ行く)也末之呂乃(山城の)宇知恵倍留古良(うち酔へる子ら)毛波保世与(藻葉干せよ)衣不祢加計奴(え舟繋けぬ)」

 これらの歌からは、今ではすっかり風化してしまった心の記憶の風景、心象風景と言ったものを感じさせるようにも思います。



2021年9月 3日 (金)

路地(ろーじ) ーそのいろいろー 62

さらに東山区です

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