時 雨(しぐれ)
あれ程に煩いくらいだった「蝉時雨」が、涼しげな「虫時雨」に変わって間もない今、「本物の時雨」の季節にはまだ早いのですが・・・。
時雨は秋の終わりから春先の頃、北西季節風の吹くときに降ったりやんだりする雨のことを言います。
時雨は、本州の日本海側や九州の西岸、京都盆地の北部近くの山間部では、1〜2時間おきに雨が降ったいやんだりを繰り返します。テレビの天気予報で気象衛星の雲画像を見ていると、黄海や東シナ海から日本海にかけて、多くの筋状の雲が写っていることがあります。この団塊状の雲が日本の上空を通過するたびに、降ったりやんだりを繰り返すのが時雨です。
ちなみに、山陰や北陸など日本海側の地方には、晩秋から春先にかけての時期は「弁当忘れても傘忘れるな」という諺があります。
時雨の語源は、「過ぐる」「しばしば暮れる」「しくれ=シは風の古語、クレは狂いで、風の乱れるのに伴って忽然と降る雨」など諸説あるようですが、いずれも通り過ぎる雨・通り雨の意味です。
「しぐれ」から受けるしみじみとした味わいは、古くから和歌や俳句に詠まれてきました。
私も、風情や味わいを感じるこの「しぐれ」という言葉が好きです。
ところで、時雨は晩秋から春先の頃に降る通り雨のことなのですが、なぜか俳句の世界では晩秋から初冬の頃の季語とされています。
自由律の俳人で放浪の俳人とも称された種田山頭火には、時雨を詠んだ多くの句があります。
私が特に好きなのは、『其中日記』(昭和7年10月21日の条)にある「おとはしぐれか」です。山頭火が厠でしゃがんでいる時、草屋根を滴る時雨の音に季節の移り変わりを感じ取っている、よく知られた句です。
京都にもこの句碑があり、北区の鷹ケ峯から長坂越えで R162 に出る手前の地蔵院境内(杉坂道風町102)に建てられています。
そして、山頭火の代表句の一つである、「うしろすがたのしぐれてゆくか」も好きな句です。
一方、和歌の世界でも一雨ごとに荒涼とした冬の近づく様子、無常の思いを感じさせる「しぐれ」はよく詠われています。
神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける 『後撰和歌集』
「降りみ降らずみ」の「み」は交互に繰り返される意の接尾語で、ここでは「降ったりやんだり」を意味しています。
ところで、『逆引き広辞苑』で「時雨」のつく言葉をあたってみると次のように24個もありました。もっとも*印を付したのは偽物の時雨で、虫の音・木の葉の落ちる音など、いろんなものが時雨に見立てられています。
時雨、夕時雨、秋時雨、横時雨、笠時雨、*さんさ時雨、*虫時雨、片時雨、北時雨、初時雨、*袖時雨、一時雨、*袖の時雨、*空の時雨、偽りの時雨、*木の葉時雨、北山時雨、*黄身時雨、*蝉時雨、露時雨、小夜時雨、叢時雨、*霧時雨、春時雨
日本語はなんと奥深いのでしょうね。