手習い歌
仮名文字を書く練習のために、手本とする和歌などの歌のことを「手習い歌」といいます。
最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の「仮名序」(延喜5年)には、仮名を習う人(こども)が最初に手本とした歌として、次の和歌二首を挙げているそうです。
その一つ「難波津」の歌は、渡来人の王仁が仁徳天皇に奉ったと云う。
なにはづに さくやこのはな ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな(難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花)
もう一つ「安積山」は、葛城王(橘諸兄)が東国へ視察に行った時、その地にいた采女が、 諸兄に献上した歌と云う。
あさかやま かげさへみゆる やまのゐの あさきこころを わがおもはなくに(安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに)
いまの私達は、全部で47字の仮名文字を重複しないように一度だけ使って、整った文章のかたちにした歌「いろは歌(伊呂波歌)」、この47字の仮名文字に入っていない「ん」、または「京」の字を加えた48文字を文字習得の手本としていました。
「色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず ん」
これは弘法大師の作と云われていたのですが、今ではその死後の平安時代後期に作られたとみられているようです。
ところで、こように仮名文字を重複しないように使って作られた手習い歌で、「いろは歌」に先立つものとして、平安初期の「天地の詞(あめつちのことば)」「大爲爾の歌(たゐにのうた)」というのがあるそうです。
「天地の詞」は、ア行の「え」とヤ行の「江」(注:この「江」正しくは変体仮名です)の区別を残していて平安初期の音節数を示している。この歌は身近にある言葉・単語を選んでいるため、自然と向き合って生活していた大昔の人々の考え方や自然観が見えるように感じられます。
「あめ(天)つち(地)ほし(星)そら(空)やま(山)かは(川)みね(峰)たに(谷)くも(雲)きり(霧)むろ(室)こけ(苔)ひと(人)いぬ(犬)うへ(上)すゑ(末)ゆわ(硫黄)さる(猿)おふせよ(生ふせよ)えの江を(榎の枝を)なれゐて(馴れ居て)」
「大爲爾の歌」は、源為憲の『口遊(くちずさみ)』(天禄元年)に、「謂之借名文字」(これを借名〈かな〉文字と謂ふ)と但し書きを付して記しているそうです。
「大爲爾伊天(田居に出で)奈徒武和礼遠曽(菜摘む我をぞ)支美女須土(君召すと)安佐利於比由久(求り追ひ行く)也末之呂乃(山城の)宇知恵倍留古良(うち酔へる子ら)毛波保世与(藻葉干せよ)衣不祢加計奴(え舟繋けぬ)」
これらの歌からは、今ではすっかり風化してしまった心の記憶の風景、心象風景と言ったものを感じさせるようにも思います。
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