六地蔵巡り
六地蔵巡りの一所、上善寺
地蔵信仰は奈良時代からあったもののようで、平安時代には疫病や厄は街道から村や町に入り込むと考えられた。これらの災厄を防ぎ、旅をする人々の安全を願って地蔵を祀ったようです。
また地蔵信仰は、悪霊や疫病が侵入するのを防ぐために、峠や街道の分かれ道(追分)、村や町の入り口の道端に祀られた塞の神(道祖神)の信仰とが習合した風習ともいわれる。
京都では毎年8月22・23日に、京都の周辺にある街道の入口6ヵ所の地蔵を巡拝する「六地蔵巡り」が行なわれています。
この六地蔵巡りという風習は、古くは室町期からあったようなのですが、六地蔵の位置場所は時代により固定したものではなかったようで、現在のような6ヵ所の地蔵尊に固定されたのは、近世の寛文年間になってのことだそうです。
ちなみに、『都名所圖会』には六地蔵についての伝承を次のように記す。
「六地蔵 指月の東八町ばかりにあり。此所のひがしは醍醐街道、西は伏見淀道、中に京街道あり、南は黄檗宇治に至る
地藏堂 大善寺と号す、浄土宗なり、京道の角にあり 本尊地蔵菩薩は、仁寿二年小野篁冥途に赴き、生身の地蔵尊を拝し、蘇りて後一木を以て六体の地蔵尊をきざみ、当寺に安置す。保元年中に平清盛西光法師に命じて、都の入口毎に六角の堂をいとなみ、此尊像を配して安置す、今の地蔵巡りこれよりはじまる。」とあって、初めはここ伏見の大善寺に六体の地蔵尊が安置されていたが、平安時代末期の保元年間に平清盛の命により、大善寺も含めて京への出入口である街道口の6ヶ所に分けて安置するようになり、これらの六地蔵を参拝して廻る六地蔵巡りの風習が生まれたという。
それら六体の地蔵尊が分祀された六ヶ所の寺院と街道口は次のとおり。
伏見六地蔵(奈良街道) 大善寺 伏見区桃山町西町
鳥羽地蔵(大坂街道) 城禅寺 南区上鳥羽岩ノ本町
桂地蔵(山陰街道) 地蔵寺 西京区桂春日町
常盤地蔵(周山街道) 源光寺 右京区常盤馬塚町
鞍馬口地蔵(鞍馬街道) 上善寺 北区上善寺門前町
山科地蔵(東海道) 徳林庵 山科区四ノ宮泉水町
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