岬神社 ーこの名は鴨河原だった名残りー
蛸薬師通河原町東入の備前島町にあるこの岬神社、別名を土佐稲荷ともいいます。五穀を司る倉稲魂(くらいねのみたま)、つまり稲荷神を祀るそうです。
この岬神社は名前から判るとおり、一帯がその昔には鴨川の河原であったことを物語っているものとして注目されます。
広く知られるように、河原町通というのは鴨川の河原であったところに開かれた通りなのです。
元は鴨川の氾濫から守るために、鴨川畔の岬に祀られたのがこの神社の名称由来といわれ、社伝では南北朝時代の貞和4年9月28日の鎮座と伝えるのだが定かなことではない。
くだって江戸時代の慶長期になり、この地に土佐藩の京屋敷が設けられて、明治維新の廃藩まで岬神社は同藩の鎮守社とされ、土佐稲荷とも称されたていた。
神社の所在する備前島町は、慶長16年に高瀬川が開削された時、備前の国から船頭を招いて居所としたことから町名となった。
高瀬川は慶長年間に、角倉了以が方広寺大仏の再建のための資材を運搬するために伏見から五条までを開削しました。その後、慶長16年に二条まで延長したもので、明治に至るまでの約300年にわたって京都・伏見間の物資輸送のための運河として、京都の産業経済に大きな影響を及ぼしたのです。
ちょっとばかり息切れしているため、年末年始は記事の更新を休ませていただく積もりです。
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