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2022年4月

2022年4月29日 (金)

ヤキモチは怖いという話 その1

萬松寺の歯形地蔵

萬松寺は上京区,御前通一条下ル東竪町135にあります。

 萬松禅寺寺門の額

Photo_20220426162401

 元禄年間(江戸時代)、西陣の生糸問屋の娘でお梅というのが居て、手代の吉助に懸想をした。つまり、恋い慕うようになったのですね。
 ところが吉助の方は、主家のお嬢さんと手代では余りにも身分が違うということで、お梅を避けて主家から逃げ出しました。
 お梅は恨みに思ってそのあとを追い萬松寺まできたところ、手代の吉助が墓地の中の石の地蔵尊の陰に隠れているのを見つけ、お梅は逆上のあまり手代の肩に噛み付きました。
 しかし、それは吉助ではなく石の地蔵だったのですが、女の執念が石仏の肩に歯形を残させた。
 それからこの地蔵尊を歯形地蔵というようになったということです。

「歯形石地蔵大菩薩」の石碑
Photo_20220426163501

 このような伝承は他にも例があって珍しいものではないようです。いずれも仏教を信仰する人々が寺の繁栄を願って捏造したものであって、言うまでも無く信ずるに足りぬ話です。

 他にも類似した面白い話がありますから、記事にする予定をしています。




2022年4月15日 (金)

看板いろいろ その41

野一色(2点)
 下京区木津屋橋通西洞院西入
 袈裟・法衣
 寛政二年の創業、真言宗専門の仏具用

Photo_20220415090501

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橘 屋
 下京区油小路六条上ル
 和菓子
Photo_20220415090601


 

2022年4月 1日 (金)

安元の大火と出火原因

 下京区には、万寿寺通御幸町の西方に「堅田町」という町があります。
 この堅田町、初めは魚屋町と称したと云う。近江国(滋賀県)から日々湖魚を運んでこれを販売したが、錦小路に市場が立ってそこに合併したとされる。
 堅田町と改称した時期は不詳とするが、町の名称はもしかすると、都に湖魚を送っていた現在の滋賀県大津市堅田に縁由があるのかも知れません。

Photo_20220331133201
 上部が特に劣化していて見づらい仁丹町名表示板です。
 表記は「下京區 萬壽寺通御幸町西入 堅田町」とある。

 さて、平安時代も末期の安元3年(1177)4月28日、樋口富小路の東にある、この堅田町から出火した。樋口は樋口小路のことで現在の万寿寺通、富小路は現在の麸屋町通にあたる。
 この火災は、世に安元の大火(太郎焼亡とも)と称された。風に煽られて北西に延焼、左京の三分の一を焼き尽くす大火災で、都が平安京に遷ってから最も大きな被害となった。
 『平家物語』には、朱雀門・応天門・会昌門・大極殿・豊楽院・諸司・八省・調所など宮城の諸施設までもが一時のうちに炎上したと記述している。
 このような大事態となったために、元号を「安元」から「治承」に変えたほどなのです。元号には呪術的な要素があるため、これを改めること(改元)で災いを除いて、世を一新すると考えられていた。

 『源平盛衰記』にも、安元の大火についての記述があるので見てみます。もっとも、これは軍記物語(文学)であるため、どこまでが真実なのかは不明です。
 さて、安元の大火は武士の狼藉が出火原因なのですが、そのえげつなさと乱暴さには空いた口が塞がらないといった感じなのです。その記述を大雑把に見てみましょう。
 平重盛(平清盛の長男で小松殿と称された)の乳母の子である成田兵衛為成など7人の者が、十禅師の神輿に矢をいかけるという狼藉を働いたのです。その責を問われて磔の刑や簀巻きにして水に投げ込む刑に処されるところを、重盛に免じられ伊賀国へ流罪と決まった。
 そこで、成田為成は同僚などとの別れを惜しんで酒盛りをした。ところが、皆んなが酒に酔っぱらい正気を失った状態になってきた。その時、伊賀の田舎に流される成田へ進めるべき酒の肴が無いぞ。そこで、肴にしようと髷を切って差し出す者、ヤー面白い負けてなるものかと耳を斬って出す者、命に勝る宝は無いぞその命を肴にしようと腹を掻き切って倒れ伏す者、とエスカレートしていく。
 ついには成田兵衛本人も、俺は再び都に戻って酒を飲むこともないだろうから、俺も肴を出すぞと云い自害して死んだ。
 そして、家主の男は自分が生き残っても、六波羅に召し出されて無事には済まないだろうと言って、家に火をつけて飛び込み焼け死んだ。

 ちなみに、安元の大火について記述のあるものに、公卿九条兼実の日記『玉葉(玉海)』、公卿三条実房の日記『愚昧記』など、史書『百錬抄』。また文学にも、鴨長明『方丈記』、作者未詳『平家物語』などがあるようです。





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