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2022年11月11日 (金)

東京の木製仁丹町名表示板 その2

東京市の木製町名表示板のレプリカ

 前回に見た東京の『町名札製作仕様書』と、実際に発見された木製の仁丹町名表示板をもとに、レプリカが作製されました。

東京市の木製町名表示板レプリカ
 この写真は、レプリカ製作者でもあるテント虫さんに使用の許諾を得ています。

Photo_20221028113201
 このレプリカの配色は、下地が白、文字と商標が黒、外枠が赤という3色配合となっています。
商標の色…オリジナルの商標の色は褪色していて定かではないが、レプリカでは基調を黒色としている。
ちなみに、京都の木製仁丹の場合は「仁丹」の文字は黒色で、その周りを囲む枠と人物は赤色。
商標の位置…発見された町名表示板と古写真に倣って、商標は下部に入れている。
外枠とその色…『町名札製作仕様書』に記述はないが、京都の木製仁丹に倣い赤色としている。ただし、京都の木製仁丹にある額縁状の木枠は付けていない。

 しかしながら、前回の記事に書いたように東京の『町名札製作仕様書』には、商標の色と位置、および外枠については全く記されていません。
 その辺りに関わることですが、『町名札製作仕様書』には「検査ヲ受ケ合格ノ後ニアラサレバ町名ヲ記入スル事ヲ得サルモノトス」とありますから、町名札に余計なものを書き入れることは不可能のように思えます。にもかかわらず、商標を入れることが許容された経緯について知りたいものです。

 そんな外枠と商標ですが、自由に勝手な想像を巡らせてみました。
① 外枠の有無は?
 外枠が無く周囲が空白のままでは、どうにも間が抜けたようで締まりませんから、やはり外枠が有ったと考えたいです。
 ところで、その外枠はただ色を塗っただけだったのか、それとも京都の木製仁丹のように色付けした額縁状の木枠が取り付けられていたのか。その点、発見された東京の町名表示板では、木枠が装着されていた痕跡が認められません。
② 外枠の色とその色調(色合い)は?
 レプリカでは外枠は赤色としています。その色調(色具合)は、茜色(やや沈んだ赤色)または緋色(濃く明るい赤色)で、赤は赤でもパーッとした目立つ色合いにしています。
 さて、東京市の町名表示板に外枠があったとすれば、それはどんな色調の赤だったのでしょう?
 私の好みでイメージしたのは、「小豆色(くすんだ赤)」もしくは、「マルーン(赤みの茶色)」といった渋い赤色です。この色、実はあの木製仁丹表示板が見つかった場所のごく近くにある、根津神社の華表(鳥居)の色で渋く深みのある赤色なのです。どの神社でも鳥居の色は通常は朱色ですが、この根津神社のそれは朱色ではありません。

根津神社の鳥居

Photo_20221027135202

 ところで、古代中国では朱色は権威の象徴でした。日本でも宮城の正門(朱雀門)は朱色でしたし、神社の鳥居や本殿などの神社建築も朱色です。そして、根津神社の場合も楼門・唐門・拝殿、そして境内にある乙女稲荷神社の千本鳥居も朱色なのですが、なぜか鳥居だけが全く違う色合いの赤(小豆色)なのです。
 ちなみに、中国南西部から日本にかけての照葉樹林文化帯では、赤色というのは特別な色で、小豆の赤(小豆色)には災いや疫病を避ける呪力があるとされていました。現在の私たちも、小正月(1月15日)には邪気を払うため小豆粥を食する風習があります。




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