誓願寺の六地蔵石幢
新京極通六角に、誓願寺という浄土宗西山深草派総本山の寺院があります。
清少納言、和泉式部、秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことから、女人往生の寺として名高い。
また、このお寺は芸道上達のお寺としても広く信仰を集めています。
今年の夏、この誓願寺へ山脇東洋(江戸時代中期の医学者)の墓を訪ねて行きました。
この時、誓願寺墓地の入り口を入ってすぐ近く、覆屋の中に傷んで破損した石塔があるのに気がつきました。説明書きによると「六地蔵石幢(ろくじぞうせきどう)」と称されるものです。
石幢というのは鎌倉時代の頃から造られていたようで、単制石幢と重制石幢の2種類があるそうで、誓願寺のものは重制石幢です。
重制石幢は通常、宝珠・笠・塔身(龕部)・中台・竿・基礎の六つの部分からなっていて、一見したところは石灯籠風の石塔で、笠の下の龕部(がんぶ)に六地蔵を彫ったものが多いようです。
この誓願寺の六地蔵石幢は、、誓願寺墓地では最古の石仏だそうで、高さが約136センチで、石材を六角形に加工した六面体の石塔です。
その六角形の幢身の各面には、浅く光背が彫られ、蓮華(れんげ)座に立った、像高約36センチの地蔵菩薩立像が肉厚に浮き彫りされています。地蔵菩薩は六角形のそれぞれの面に刻まれてているのですが、そのうち1体は欠損しています。
ところが、惜しいことにはこの石幢は完全な形ではなく、幢身(どうしん)部分だけが残されていて、龕部の上部にあったとみられる笠や宝珠は失われてしまってありません。
この幢身頂部には龕穴(がんけつ)が開いており、ここには経典が納められていたようで、その上に笠石を載せて閉じられていたと考えられます。
〈 幢身の左上部が欠損している 〉
錫杖(しゃくじょう)を持った地蔵菩薩の下部には、次のように願文が刻まれています。
「一結衆并無縁六親/右意趣者為/眷属乃至法界平等利益故也/永享11年11月24日敬白」とあることから、室町時代の初期にあたる永享11年(1439)に造られたことがわかります。