京都の顔 ー鴨川の移り変わりー
京都と言えば思い浮かぶのは何でしょう。情景では、祇園や先斗町などの花街や寺社の堂宇でしょうか。また、食べ物では京料理・京野菜・京菓子・京漬物など、他に幾つも数え上げることはできるようです。
そして、鴨川とその両岸の自然景観、これもその一つに挙げることができるでしょう。
鴨川(荒神橋付近)
この鴨川、桟敷ヶ岳付近を源流として南流、下鴨神社の南で高野川が合流しますが、通常はここまでを「賀茂川」と表記し、そこから下流を「鴨川」と表記します。その鴨川は市街地を南下し、下鳥羽に至って桂川に合流。そして桂川は京都府と大阪府の境界付近で、宇治川・木津川と共に一つになって淀川となり大阪湾に流れ込んでいます。
さて、京都市街の中心を流れる鴨川は、京都の顔あるいはシンボルに見立てられることがありますが、それはいつ頃からのことで、また何故なのでしょう。
鴨川とその両岸の景観は、時代とともにどう変化してきたのかを考えてみたいと思います。
平安京は、その東側の境界を鴨川としていました。
大昔の鴨川は治水対策を講じていないため、大雨のために洪水が発生したときには、上流から押し流された大量の岩石や砂礫が堆積して、河川敷は広かったと思われます。
そして、流路は細かい網の目のようで、水の流れは一定していなかったでしょう。
古来、頻繁に発生する鴨川の洪水による危険から逃れられなかったので、平安時代に院政を始めた白河上皇は「賀茂河の水、双六の賽、山法師」だけは自分の思う通りにはならないと言ったそうですが、治水というのは権力者にとって世を治めるうえで重要な政治課題でした。
ところで、平安京は右京の南部が湿地であったことから「人家がだんだんと疎らになって幽墟に近い。人は去ることがあっても来ることがない。家屋は崩壊することがあっても建造されることがない。」といったありさまだったことを、慶滋保胤が天元5年(982)に著した『池亭記』に記しているそうです。
そんな土地だったため、貞観13年(871)の太政官符では、この右京の西南隅付近を葬送並びに放牧地に指定することを定めたそうです。
このように右京が衰退した反面、左京は発展・繁栄していくことになります。人々の居住域が平安京の北限であった一條通から北方ヘと拡大し、政治の中心も鴨川を東側に越えて白川(岡崎)へと移っていきました。
平安期の鴨川の河原は死体の捨て場所や葬送の地に使われ、のちの時代には戦場や処刑場となっています。そして、さらに時代が下ると見世物の興行や遊興の場所として使用されました。
応仁・文明の乱をはじめ長い戦乱で京都の町は荒廃していましたが、そんな京都の再生の一貫として、豊臣秀吉は京の町の外周に御土居を築造しました。その目的は、軍事目的や鴨川の洪水対策、美観などがいわれています。
御土居の東外側は鴨川の河原でその左岸(東岸)から東は、田畠や寺院が散在するところでした。
この御土居の築造によって、京都は「洛中」と「洛外」の地域区分が明確になりました。しかし、江戸時代になると洛中と洛外の間の往来が頻繁となって、御土居は交通の障害になり京七口と共に壊されるようになります。それとともに、御土居のすぐ東外側の鴨河原には新しい町並みが形成されていき、これが後の河原町通となりました。
江戸幕府は寛文9年(1669)に京都所司代の板倉重矩を責任者として、頻発する鴨川の洪水から京の町を守るため、上賀茂から五条までの両岸に新しく堤を築造しました。(寛文の新堤といわれる)
西石垣(通)の町並
この町並みの右手(東側)が鴨川の流れです
特に、三条と五条の間の川端には堅固な石垣の堤を設けました。いま、四条から下流の西岸が西石垣(さいせき)と言われるのはその名残りです。そして、その西岸の新河原町(先斗町通)・木屋町通や、北方にある土手町通・中町通・東三本木通・西三本木通などは、新堤の築造以後に新しくできた町並みです。
東岸でも、東石垣(とうせき)が現在の宮川町筋となり、四条と三条の間には縄手通の町並みができ、川端通も寛文の新堤が通りになったということです。
一方、祇園社(のちの八坂神社)門前には古くから祇園町の町並みが発達していたのですが、鴨川の新堤築造の後には両岸に新たな町並みが発展します。鴨川東側の芝居小屋(南座・北座)の周辺には祇園町外六町と呼ばれる祇園新地が誕生し、ついで内六町が誕生しました。
こうして開かれた両岸の町並みには、遊郭・茶屋・料理屋などができ遊興の地として発達し、鴨河原は人々の納涼場所となったのです。
このように寛文の新堤が築かれて鴨川の治水が成ると、両岸の市街地化が急速に進みました。そして、鴨川を中心とした景観が大きく変わるなかで、鴨川は京都の顔あるいはシンボルと言われるようになっていったのです。
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