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2023年6月

2023年6月30日 (金)

合歓木(ネムノキ)

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 合歓木はマメ科の植物なのだそうです。そういえば、「さやえんどう」の一種でシャキシャキした歯触りの「絹さや」のように、平たく薄い鞘の中に小さな豆のような種ができます。
 花の先端はピンクの細長い多くの花びらが傘のように開いて、その根本部分は筒状になっています。多くの細いピンクの花びらは刷毛のようになっていて、得も言われぬあえかで美しい花です。

象潟や雨に西施がねぶの花  芭蕉
 西施というのは、中国春秋時代の越の国の伝説上の美女だそうです。芭蕉は合歓木の美しい花を美女西施に擬えたのです。

 合歓木の葉はオジギソウに似ています。ただし、オジギソウの葉は手で触れると閉じますが、ネムノキは手で触れても閉じず日が暮れて夜なると閉じます。
 夜に葉を閉じて眠るようなところから「眠りの木」が「ネムノ木」になったと言われるようです。




2023年6月16日 (金)

アジサイ(紫陽花)

 梅雨の頃に咲く特に珍くもない花です・・・が、雨に濡れそぼつ様子はちょっと立ち止まって眺めてしまう花です。
 丸くボッテリと咲いているアジサイは改良された園芸種で、ホンアジサイと称されることもあるものです。

ホンアジサイ

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 原種は日本産で、ガクアジサイと呼ばれているものだそうです。ガクアジサイの名は、花の周囲を装飾花が額縁のように飾っていることから、「額アジサイ」と言うほどの意味で名づけられています。
 ヨーロッパで品種改良されたアジサイは西洋アジサイと呼ばれます。

ガクアジサイ

Img_0296
 アジサイには異称が多くあって、花の色が変わることから七変化・八仙花、花びらが4枚に見えることから四葩(よひら)と書かれて俳句では季語になっているとか。また、アジサイに当てられる漢字も多くあります。
 ホンアジサイの花は、中央のものを除いては装飾花で4枚の萼(がく)が変化したものなのだそうです。
 私は長い間ホンアジサイの方がプロトタイプで、ガクアジサイが改良された園芸種だと思っていました。これと言って理由はないのですが、花の見た目から何となくそのように思っていたのです。

 ところで、アジサイの一部の品種は有毒植物であるため、園芸や切り花として利用する際には取り扱いに注意が必要とのこと。牛、山羊、人などが摂食したことによって、中毒が発生した事例が報告されているようで、症状は過呼吸、興奮、ふらつき歩行、痙攣、麻痺などを経て稀には死亡する場合もあるが、口に入れなければ毒の効果は無いとのことです。




2023年6月 2日 (金)

高 瀬 川

 高瀬川沿いの木屋町通では、三条から四条辺りにかけての一帯が京都でも主だった繁華街の一つになっている。透き通ったきれいな水が浅瀬を流れていて、京都らしい雰囲気をたたえた観光スポットになっています。
 『京都坊目誌』には、「文化文政以来鴨川に沿ひて酒楼旗亭を設け、遊宴娯楽の場と為る」とありますが、現在もなお京都で有数の飲食店街です。
 高瀬川は、鴨川の二条大橋西畔から水を取り入れて南流、南区東九条で鴨川を東岸に渡って再び南下、伏見の市街地西部を流れて宇治川に合流しています。
 そして、その宇治川は京都府と大阪府の境界辺りで桂川・木津川と合流し、淀川となって大阪湾に流入しています。

 高瀬川は方広寺大仏再建の資材を運搬するため、角倉了以・素庵親子が開鑿したものではじめは伏見から五条まで通じたが、のちに私費で二条まで延長したのです。慶長16年(1611)に竣工したともいわれますが、諸説があって明らかではないようです。
 支配者が豊臣から徳川に替わって政治の中心が伏見城から二条城に移ると、大坂から伏見に運ばれて陸上げされた物資を京の中心まで運ぶ手段は、竹田街道・鳥羽街道の陸路以外にはありませんでした。そこで、物資を舟運輸送するために開削された運河が高瀬川なのです。
 最盛時には248隻の舟が就航したといわれています。この舟運は大正9年(1920)まで使われていました。

物資を輸送する高瀬舟
 5・6隻を繋いで一組とした舟の列を、15〜16人の曳き子が「ホーイ、ホーイ」と掛け声をかけながら、柳の下の岸づたいに綱で引いてのぼったという。(画像が小さくて見づらいですが、絵をクリックすると拡大できます)

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 角倉家は高瀬川の支配と物資輸送を独占して、大坂・伏見の物資は高瀬川を経て京の中心地に輸送されました。使われた舟は舷側が高く、浅い水深に合わせて船底が平らな喫水の浅い高瀬舟で、高瀬川の名前の由来とされる。

史跡 高瀬川一之舟入碑
 背後に見える復元された高瀬舟の左手奥に、「一之舟入」があるが今では金属の柵で川と隔てられている。
 舟入は高瀬川の右岸から西に向けて、奥行き約85m・幅約10mの堀割になっていたが、今ではその周辺にまで人家が立ったため狭まっている。

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 かつて、高瀬川の川筋には物資の積み下ろしや、舟の方向転換のために9ヶ所の舟入が設けられていたようです。しかし、今では史跡に指定された「一之舟入」を除いては、全て埋め立てられてしまい無くなっています。

 おしまいに高瀬川沿いの道、木屋町通について
 高瀬舟で輸送された物資の主なものは、住民の日常生活に必要な材木・薪炭をはじめ米・塩などで、高瀬川沿岸にはそれらを商う商家や倉庫が軒を並べ、商人や職人たちが同業者町を作っていました。その名残として、樵木町・材木町などとともに船頭町・車屋町など多くの町名として残っています。
 このように川沿いの道には材木屋や薪炭・薪屋が多かったことから樵木町(こりきちょう)と称されたが、いまでは通称にしたがって木屋町通となっている。
 この木屋町通は高瀬川沿いに町並みができていったもので、初めは極めて狭い道のきわに店舗・倉庫があったが、後の明治28年ここに電気鉄道を通すことになり、これらが撤廃されて拡幅のうえ道路としました。さらに、明治43年には軌道敷き拡幅のため高瀬川畔にあった柳などの風致木を伐採して、1mほどを埋め立て今のような規模の道になったようです。





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