喫茶店いろいろ 4 ーそのほか雑多にー
上の写真の店は、進々堂 京大北門前 です。
大正2年(1913)にベーカリーショップとして創業した進々堂が、昭和5年(1930)に京都大学農学部の横でフランス風カフェとして開店しています。ある意味で正統派の喫茶店と言えるかもしれません。
百万遍交差点の東方にあって、京都大学界隈の文教地区に相応しい外観の建物です。店内は普通の喫茶店のような小さなテーブルと椅子ではなく、書籍を何冊も広げて置ける程に大きなテーブルと長椅子がそれぞれ何脚も据えられていて、昔の図書館の閲覧机のような感じです。
このテーブルは、漆芸・木工作家の黒田辰秋(人間国宝)がまだ無名時代に作ったものという。黒田は、のちに柳宗悦・河井寛次郎・濱田庄司などによる民芸運動にも関わっている。
場所柄、主な客層は京大の学生・院生や教授などで、その点は東大正門前の「万定フルーツパーラー」とよく似ている。
シリーズ『喫茶店いろいろ』として、いろんな形式の喫茶店を見てきました。
最終回の今回は「そういえば、あの頃はこんな店も・・・」とかすかに記憶に残る喫茶店や、聞いたことがあるけれど足を踏み入れたことはない店も含めて取り上げました。
タンゴ喫茶
1950年代から60年代にかけて日本でもタンゴが流行して、多くのタンゴバンドが活動していました。
その頃、木屋町通四条上ル二筋目(現・十軒町橋通)を西木屋町から西に入ったところに、タンゴ喫茶「クンパルシータ」がありました。その後、店は閉店してしまいましたが。
本場のアルゼンチン・タンゴに対して、ヨーロッパで作られたものをコンチネンタル・タンゴと称していました。日本でもよく知られたタンゴバンドは、
アルゼンチン・タンゴ・・・・フランシスコ・カナロ、ファン・ダリエンソ
コンチネンタル・タンゴ・・・アルフレッド・ハウゼ、マランド
日本では、早川真平とオルケスタ・ティピカ東京
オルケスタ・ティピカ東京に加入した歌手の藤沢嵐子は、1950年代日本のタンゴ・ブームの立役者の一人で、後に早川真平と結婚。
ちなみに、菅原洋一はこの楽団からデビューしています。
歌声喫茶
もう半世紀も前のことになるでしょうか、四条河原町西方の北側に歌声喫茶「炎」という店がありました。
あいにく、「歌声喫茶」というものには関心がなかったため行ったことはないのですが、「炎」に用意された歌集の歌や、その時に流行している歌をリーダーが客の皆んなと一緒に歌うというもののようでした。
その当時、学生で「炎」でアルバイトをしていたという人のサイトを見つけました。
内田誠一郎(Bapak Uchida)さんという人のHPで、その中の『炎 学生時代の思い出』というページは、当時の世の中や歌声喫茶「炎」の様子などがわかる大変に興味深いものです。
ちなみに、内田誠一郎さんはプロフィールによると、定年でヤマハ株式会社を退職されて後、郷里へお戻りになって作曲活動に没頭されているということです。
同伴喫茶
記憶は定かではありませんが、遥か昔、西木屋町を龍馬通から少し下がった辺りにもあったような気がします。
何でも、店内は狭い個室が並んでいて、その入口と内部壁面には分厚いカーテンが掛かっている。そして、個室にはロマンスシートと小さなテーブルが置かれているだけといったものだったようです。
そんな作りと調度であるため、よくは分からないけれどもカップルがデートで利用した店なのでしょう。
ちなみに、ロマンスシートというのはかつて映画館や喫茶店に設けられた二人掛けの座席を言った和製英語なのだそうです。なお、英語では「love seat」と言うそうです。
ネットで検索してみると、今でも「カップルシート」や「二人個室」などと称して、二人きりで過ごせるカフェがあるようです。
それから、これは先輩に聞いたことがあるだけで、実際がどんな店だったのかについては全く知りませんが、美人喫茶・和風喫茶といったものがあったようです。多分1960年代のことなのでしょう。
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